エレンブルグはマキアペリストか? いいだ・もも

 おそまきながら、テレビで、ジャン=リュック・ゴダールの映画『軽蔑』を、見たところなのですが、ゴダールの話の筋というのは、金にものをいわせるアメリカ合衆国のプロデューサーと屈辱的契約をむすんだ∃ーロッパの作家か、B・B(ブリジット・バルドー)からすっかり軽蔑されてしまい、ある愛の終りにいたる物語でした。B・Bは、自動車事故をとげてしまい、物語はアンハッピー・エンドで、終ります。
 ゴダールが表出しようとしている、戦後のヨーロッパ=地中海世界の没落は、いうまでもなく、第二次大戦後の物語ですが、イリヤ・エレンブルグは、すでにはやくも、弟一次大戦後に、アメリカ合衆国との関係においてヨーロッパ=地中海世界の全滅を、描破した、ということになります。一九二一年の『フリオ・フレントの遍歴』、ならびに二三年の『トラストD・E』として。
 第一次大戦は、∃ーロッパを主戦場とした帝国主義世界戦争として、近代の″パクス・ブリタニカ″(イギリスの平和)、あるいはパリ・コミューン潰滅後の”ビスマルクの平和”が、根底から動揺させ破産させ、広く平凡人の胸にも、オズワルト・シュペングラーふうにいえば「ヨーロッパの没落」感を、浸透させたわけですが、エレンブルグは、この旧世界没落感を、いささか皮肉なことに未来派的形象をもって表出することに成功した、最初の作家であった、といえます.

「師(フリオ・フレント)よ、なぜあなたは今日まで生きながらえていてくださらなかったのですか?」と、エンスはつぷやいた。「でも、ご安心ください、一九七○年になってもあなたを殺害した下手人の記念碑は立たないでしょう。一九七○年に、ヨーロッパにあるのは、太陽と弟切草と鳥のさえずりだけになるでしょう」
 そして、ずるそうに眼くばせしながら、エンスは続けた。「あなただって彼女を愛しておられた!……あなたは彼女のために自分のメキシコをお見捨てになった……不潔なコートブで長靴なんかのために命を落された時、あなたはフェニキア女の高慢な歩きぷりをごらんになった……ご安心ください、この私が彼女を手に入れてみせます!………」


  それは偉大な瞬間であった。

 ごらんのように、『トラストD・E』は、『フリオ・フレント』の続編なのです。長靴をかっぱらおうとする下賤の輩に襲われて、横死をとげた″偉大なる師″の、旧世界絶滅の雄図は、モナコ太公の落し胤であるエンス・ボードのトラストD・Eによって、みごとに実現されるのです。長靴と世界革命との同価について、一言しておきますと、レオン・トロツキーなどは、長靴に油をひかせることから、革命の規律、世界赤軍を、建設していったのでした。偉大なる師の笑うべき死を、時・所をわきまえずに、笑うことはできません。毛沢東なども、大長征の時には、長靴はおろかのこと、わらじさえもはけずに、草を足にまきつけて歩いていた、というではありませんか。
 こうして、エレンブルグの初期傑作は、「戦争と革命の時代」といわれる二〇世紀の開幕期=戦後期を、象徴するものであった、といえます。エンスが予言し、予約した一九七○年が、旧世界の潰滅どころか、どんなにさんたんたるNATO・ANPO再編の年であるかを、私たちは十ニ分に味い知りつつあるわけですが、そのようにしていささか生き延びしすぎた観をまぬかれないブルジョア文化爛熟期の現在を通して、いわば再び、エレンプルグの世界動乱物語の追体験が切実に可能になっている、というのも、おもしろい暗合のように、思われます。今日の、癌性増殖をとげた公害的文化は、エンスが生涯かけて憧憬し、かつ幻滅したフェニキアの王女−−なかば流動質の乳房とぐにゃぐにゃの腹をシャツの上にたらし、雪どけの地面に穴を掘りかえしたような吹出物だらけの肌を露出している、マダム・リュシイ・プランシャール、旧姓フラメンゴ、を連想させるところがあります。私たちは今日、たとえばゴダールの連作において、ハイ・ウェイの追突事故のように、死屍累々たる、ヨーロッパの想像図に接することかできます。
 パクス・ブリタニカの崩壊期に際会して、U・S・Aとの関係において旧世界=ヨーロッパの位置を相対化したことは、エレンブルグの詩人の直感が、ゴダールの直感にもまして、卓越していたことを示しています。このような動乱的天才を、エレンブルグは、パリのカフエ<ロトンド>にとぐろを巻きながら、「ときに革命を、ときに世界の終焉を夢想していた」無名の青春流浪時代−−ロトンドの常連には、やはり無名時代のリヴェラ、ピカソシャガール、モジリアーニ、アポリネール、ジャコブ、コクトー等が、いた−−に、磨いたのでしょうが、その夢想がまさに悪夢のように現実化した、ロソア・ソビエト革命を起爆力とする戦後革命期に際して、政治的にいって、レーニン死後のインタナショナルにおいては、U・S・A対ヨーロッパが新たな世界基軸となったことを見抜いていたのは、わずかにトロツキーくらいのものだったのです。そのトロツキーさえも、二九年アメリ大恐慌にはじまる、三一年再建金本位制崩壊からくるヨーロッパ危繊には、出しぬかれ、立ちおくれたのでした。
 硬い話になってしまって、恐縮ですが、U・S・Aとの関係におけるヨーロッパ支配の終りは、政治的には、エレンブルグやゴダールのように直接に襲ってくることなく、逆に、U・S・Aによるドイツ賠償借款なり、マーシャル・ブランなりによって、ブルジョア的ヨーロッパが再建される、という形をとりました。
 そのような″バクス・アメリカーナ″(アメリカの平和)が、永遠の繁栄を意味するものでなかったことを暴露した時、ヨーロッパの没落は、再度、現実的日程にのぼっだのでした。三〇年代の歴史的現実に即していえば、それは、ドイツ・プロレタリアートの敗北とヒトラー・ナチズムの制覇、そして、スぺイン革命の敗北と第ニ次世界大戦の勃発、という形をとりました。ドイツ革命の敗北は、エレンブルグを、「帰れる蕩児」としてモスクワに帰還させ、スベイン革命の敗北とパリ陥落は、再度、彼をモスクワに帰還させました。三〇年間におよぶ彼のヨーロッパ生活を終らせ、スターリン主義体側下における彼のオポチュニスト=マキャべリストとしての生き方を避けがたくしたものは、エンス・ポードが愛憎一如的に熱愛してやまなかったヨーロッパにおける革命の敗北そのものであった、といえるでしょう。

翻訳者紹介

吉上昭三(よしがみ・しょうぞう)
昭和三年大阪に生まれる。
早稲田大学露文科卒。
ポーランド文学研究家。
主訳書
 スタニスワフ・レム「星からの帰還」(集英社刊)
 プロシェケヴィッチ「祖国へのマズルカ」(学習研究社刊)


栗栖継(くりす・けい)
明治四十三年和歌山県に生まれる。
大阪外語中退。
チェコ文学研究家。
主訳書
 カレル・チャペック「ひとつのポケットから出た話」(至誠堂刊)
 ヤロスラフ・ハシエフ「兵士シェベイクの冒険」(筑摩書房刊)
 ラディラプ・ムニャチコ「遅れたレポート」(勁草書房刊)