収録作品(石川喬司編) 江戸川乱歩「押絵と旅する男」「鏡地獄」 小酒井不木「恋愛曲線」 平林初之輔「人造人間」 木津登良「灰色にぼかされた結婚」 直木三十五「ロボットとベッドの重量」 渡辺温「兵隊の死」 海野十三「振動魔」「十八時の音楽浴」「特許多腕人間方式」 夢野久作「髪切虫」「人間レコード」「卵」 小栗虫太郎「太平洋漏水孔」漂流記」  野村胡堂「音波の殺人」 星田三平「せんとらる地球市建設記録」 牧逸馬「七時〇三分」 久生十蘭「地底獣国」 木々高太郎「網膜脈視症」 大下宇陀児「ニッポン遺跡(抄)」 横

 

没落への誘惑 虫明亜呂無

 SFというものを知らずに、SFらしいものに、漠然と興味を抱いたのは、シュペングラーの「西欧の没落」を読んだときである。ぼくは没落の涯の回帰と再生を信じた。
 戦前であった。太平洋戦争が末期的症状をあらわしはじめていた。ぼくは十八歳であった。ぼくは、没落という言葉以前に、西欧を落日の国(アーペントランド)というシュペングラーの意想にひかれていた。そう、没落の荘厳さと反比例して日本は戦争には敗けるだろうが、敗戦の惨めさにもかかわらず、落日の国、たそがれの国、夜の国という名を冠せられることは永久にないだろう、と、思っていた。ぼくは「西欧の没落」にこの世ならぬ、来世の爛熟と栄光を、神聖な未来への展望を発見した。
 日本には、末世はないであろう。頽廃はないであろう。日本は、美しく敗れてゆくだろう、と、すら予感していた。日本は均衡がとれ、彫琢された国であった。戦争が悲惨に映れぱ映るほど、日本は典雅に映る国であった。すくなくとも、少年のぼくは、そんなことを感じながら、日本の敗北をほぼ予定の事実として受けとり、学徒動員で引っぱられて、戦場へ送りこまれていった。
 戦場の苛酷さの中にあって、ぼくは、時折、アーペントランドという言葉を思いだした。
 ぽくが転戦したシナの平原は、涯しなく、ひろがっていた。平原のかなたに落日が沈んでいった。大気は乾燥し、透明であった。落日は正確な輪郭をくずさずに、描かれた軌道にのって、地平線に没していった。それを見ながら、ぽくは、折につけ、没落を見た。没落は、いささか、抽象的で、観念的で、図式的であったが、しかし、ぼくが目撃する落日より、もっと、どろどろに溜って、熱く、崩れやすく、歪み、傾いているだろう、と、感じられた。そして、それゆえに没落のむこうに垂直なもの、毅然としたもの、透明なものを考えさせた。
 SFという概念はなかったが、しかし、未来への想像はまさに、現実をふまえているために、非現実の様相を帯びるごとに、落日に象徴されて、ぼくの心をとらえた。ぼくが、ごく平凡な読書と自然現象から未来を予感してゆけたことは、後にSFにひかれてゆくのを、きわめて、自然なものにした。
 万物は大地のなりいでた日と同じ荘厳を保っている。(ファウスト・天上の序面)
 ぽくがSFに興味を寄せる点は、一言でいうと、この言葉に要約される。万物とは、当然、人間のありよう、人間の感受性、生きかた、人間が生活のなかでくりひろげてゆく無数の日常性(食べ、語り、寝ることまでをふくめて)の荘厳さと、その裏がえしの奇怪な厳粛さの総合である。
 二十何年後、ぼくはミュンヘンの街を訪れた。
 ミュンヘンは、奇妙な街である。中世の僧院を思わす建物が、暗灰色の影をひろげて並んでいる。建物の前方は、かし、ぷな、とちの木の緑にかこまれているのに、石造建築の重量感が植物すらを模様化してしまう。家々は、ひっそりとして、虚無と呪詛の底に沈んでいるようである。
 ぽくは人ひとり姿をみせぬ街の中を歩きながら、この都市には今でも魔女が夜、ほうきに乗って空中を飛行し、市場の裏手では錬金術師がフラスコをかざし、鉱物を火でとかし、妖しい作業をつづけていてもおかしくないだろう、と、思ったりした。ミュンヘンアール・ヌーボーの発生地である。ババリヤ芸術の誕生の地である。あるいは一九三〇年初期、ナチ・ドイツが旗上げした都会である。街の上に、雲をつくようにして、そびえるフラウンエン・キルヘは一五〇〇年代に建てられた教会である。
 東京では、すでに、絶滅しかかっている市電が連結して市内を走っている。電車の走る道の背後は秋の末だというのに、目に痛いほどの緑におおわれた公園である。公園の庭にはさまざまな色の花が咲いている。噴水は、豊かな水量を噴きあげている。そして、低くたれこめた雲からは、小雪が音もなく舞ってきて、噴水の音を公園から街路へと反響させている。ぼくは、そのとき、突然、シュペングラーが、この街の貧民街で「西欧の没落」を書いたことを思いだした。たぶん、雪や、噴水の音や、街の静寂が、なにかの回想を誘ったにちがいない。そう思わなくては、「没落」という言葉が脳裡を掠めなかったろう。
 街から、街をぬけて、ばくは、シュペングラーの住居を探しだそうと思った。少年時代の情熱がさかまいて体内をかけあがってきた。広い街路には、誰も姿をみせていなかった。時折、ゆきすぎる自動車は、いかにも、無人操縦車のように音もなく近より、遠のいていった。街は裏手にはいると迷宮のようにいりくんでいた。商店のウィンドーには、この街が西欧美術のひとつの根拠地であることを証明するように、さまざまな色感をたたえたポスターや、カレンダーがならべてあった。
 教会、寺院、本屋、レストランが軒をつらねていた。が、シュペングラーがいたと云われる貧民街とおぼしきあたりは、その近くまでゆくと、彼の住居を探してゆく手がかりがなくなってしまう。たまに路上で出会う老婆に道をたずねると、彼女はしきりに考えて、結局、わからないと答えたりした。ぽくは黄灰色のしわだけが目立つ老婆の顔を見つめているだけで、目的地の所在をつきとめることができなかった。冬が近いのに、雪が降りしきっているのに、街角には、荷車いっぱいの果物をつみかさね、その横には花屋が花々を飾っていた。下町の雰囲気が濃くなってくると、路上には、たくさんの人びとが姿をあらわしはじめていた。広場の一角には、中世のゲットーをおもわせる崩れた城壁が残っていた。ぼくは、かなりの時間にわたって街の中を彷徨したが、シュペングラーの「西欧の没落」の家を発見することができなかった。
 地図はもとより、巡査に聞いても、とうとう、わからなかった。ぼくは最後にあきらめて、ホテルヘ帰った。
 ぽくは、ミュンヘンの街でなにを探していたのだろうか。
 少年時代、たまたま読んで、ある種の影響を受けた本が、いったい、どんなところで書かれたのだろうか。著者は、どんな街で、どんな生活をしていたのだろうか。いったい、ぽく自身を形ち作った元素は、どんな場所で、錬金術をほどこされたのであろうか。ぽくは、漠然と、そんなことを考えていたのかもしれない。
 十代のおわりに、ぼくは落日を観念で知った。
 二十代になるかならぬかで、ぼくは透明な落日を、シナ大陸で見た。
 そして、四十代、ぼくは、観念の落日の発生の地を訪ねて、さがしあぐねた。それは、ぼくのSF的心情を再発見する彷徨であったのかもしれない。発見は、ついに、実現することなく終った。
 しいて云うならば、ぼくが現在、SFによせる興味は、こういう情熱のたぐいのものだろう、と、思われる。SFとはなにか、と、云われれぱ、わからない、と、答える。がそういいながらぼくは、SFのおもしろさを、やはり、いつまでも探しもとめてゆくだろう。

SFの夜明け前 斎藤守弘 

 私のSFとのつき合いは昭和十四、五年、まだ小学校二、三年のころから始まる。もちろん、そのころ、SFなんてシャレた言葉はまだ無かった。どことなくやぼ臭い”科学小説”と呼んでいた時代である。世相的には太平洋戦争直前、戦争遂行のための科学振興政策が声高に叫ばれだしたころでもある。なかでもいちぱん印象深く思い出されるのは、作者の名前を失念したが、単行本の「火星探険」という漫画。想えば、そのころから今に劣らず物語調の漫画ブームたった。タンク・タンクロー、冒険ダン吉、マル角さんチョン助さんなど、いかにも個性的な漫画ヒーローたちが目白押したった。
 その数あるヒーローたちを押しのけて「火星探険」のみ鮮やかに記憶にとどめているのは、その漫画の発想があまりに奇抜、読者の常識をはるかに破っていたからである。
 この漫画の主人公は、火星へ行って、火星人の主食であるトマトを食べる。すると、腹の中でトマトが芽を出し、大騒ぎ。なんでまたトマトを主食にするのか、不合理ゆえに我信ずというほかなかったか、それに輪をかけて腹中で芽をだすとなっては、いかに子供ながら、その漫画的発想の飛躍、奇想天外さに目を白黒、そのときの印象をいまも鮮やかに憶えているのである。
 この漫画の中に、火星人の都として”シルチス・マジョール”という妙な地名がでてきた。当時、ひじょうに新鮮なひびき、いかにもエキゾチックな語感で、わけはわからないながら幾度も口ずさみ、憧れたものだ。それがアントニアジの火星地図に実際にある地名であって、”大シルチス”とよぱれる火星面上の特徴的な暗部三角形のことだと知ったのは、かなりのちのことである。
 とにかく、この奇想天外漫画のおかげで、私はいまもって天文学の魅力からぬけ出せすにいる。
 だから一九六五年、マリナー四号が撮影し電送してきた二十二枚の写真を手にしたとき、真っ先に気になったのが大シルチスの地形。無気味な環状山のならぶその写真を眺めて、私は奇妙な欲求不満的異和感をいだいた。どこがどうというのではない。こんなはずではないという感じ。
 私は二十ニ枚の写真をあらためて綿密に検討した結果、大シルチスはいままで天文学的に信じられていたような低地形でなく、むしろ火星面から隆起している高地形ではないか、と思われた。この着想はアメリカの天文学者カール・サガン博士とほとんど同時発見だったが、私はもう一歩先へ、「火屋探険」的飛躍を押し進めた。もし、大シルチスか高地形なら、反対に火屋のいわゆる”大陸”とよぱれる部分は、ひょっとすると盆地状の低地形ではないか。なかんずくヘラス大陸は他の観測証拠からしても、ざっと深さ五千メートルくらいある大隕石孔かもしれない。そう推定して某天文学雑誌に発表した。当時信じられた火星学の常識を破る結論であり、天文学に造詣深いばかりか自身、望遠鏡で何度も火星観測をおこなっていたその雑誌の編集長も、たまげて確認の電話を入れてきたほどだ。
 ところが、これが的中した。その後のマリナー六号・七号の観測により、ヘラス大陸は五千メートルから一万二、三千メートルの深さのくぼ地とわかり、火星学者の新しいミステリーとなっている。これを予言したのは世界広しといえども私一人。そしてもとはといえば火星人のトマト騒動のショックからであり、まさしく漫画「火星探検」さまさまである。このように幼年時代、SF的飛躍からうけたショックは、かなり深く脳裏に刻みこまれて、その人の一生に陰に陽に影響を与えるようである。
 最近、航空機ラッシュ解決のため、大阪湾上に”浮かぶ飛行場”をつくる案が発表されているが、これなども、ひょっとすると、それを立案した人たち、また、それをもり立てる関西財界のお歴々の頭の中に、若かりしころ読んで感銘を受けた海野十三作「浮かぶ飛行島」のイメージがまだひそやかに息づいていないだろうか。私の記憶では、この作品のイラストの一つに、非常にリアルなコの宇型の浮かぷ飛行島の全容が描かれていたように思う。今もありありとその挿絵の雄姿を思い浮かべることができる。
 当時出版された「明日の飛行機」(昭和八年刊)という解説書を古本屋でみつけたところによると、昭和初期のころ、アメリカでは盛んに”人工海上飛行場”の夢を論じ、劇映画にまでなった。その夢のプランの一つに、ちゃんとコの字型の浮かぶ飛行場かあるのである。
 ほかにも、戦前SFから受けたイメージをひそかに愛玩していると思われる人たちは数多いようだ。
 いくつか気づいた例を挙げてみると、まず故円谷英二監督。怪獣物はとにかく、長年アイデアを暖めていたといわれるテレビ映画”空飛ぶ潜水艦”に私は海野十三作「大空魔艦」の面影を見る。インドのアクバル大帝の違宝をめぐって、空を飛び海に潜る大潜水飛行艇の活躍する話である。
 私はこの大空魔艦に憧れるあまり、小学五年のころだったか、木をけずった胴体に、紙で伸縮自在の翼を作って取りつけ、防火用水の中に突っこんで苦心の作をいっぺんでダメにした記憶がある。また、戦後SFの草分である矢野徹氏のジュヴナイル作品「新世界遊撃隊」も、その題名を平田普策「昭和遊撃隊」に負っているだろうし、科学解説書でベストセラーになった横浜市立大学助教都筑卓司著「四次元の世界」の中では、たぶん海野十三作「地球要塞」と思われる、四次元生物によって空中に釣上げられた戦艦のイラストに感銘を受けたことが告白されている。
「今のSFの限界は科学そのものにある」と、論ずる文芸評諭家江藤淳氏にしても、その昔、山中峯太郎「見えない飛行機」やら「世界無敵弾」をむさぼり読んだ一人であることをどこかの随筆に書いている。