キャンベルとアスタウンディング 伊藤典夫

 現代SFのなかで重要な位置を占めるA・E・ヴァン・ヴォクトという作家を考えるとき、どうしても見落すことができないのは、その作品の大部分がはじめ発表された雑誌アスタウンディング・サイエンス・フィクションと、その編集長ジョン・W・キャンベルのことである。
 ジュール・ヴェルヌH・G・ウェルズの蒔いたSFの種は、ヒューゴー・ガーンズバックの努力によって芽をふき、生長をはじめ、やがてままっ子とはいえ文学のなかで一つの分野をかたちづくるようになる。しかしSFが本来持つ未知のものへの純粋な好奇心と感動が、その発展の時期にたまたま起きたパルプ雑誌(粗末な紙を使った安雑誌)ブームの好餌となり、一九三O年代にはSFは低俗安易な冒険小説となりはてていた。俗にいうスペース・オペラの時代である。もちろんスペース・オペラにもそれなりのメリットが有在しないわけではないし、E・E・スミスなどの小説がSFに対して果した役割は大きい。だが同じころイギリスで書かれたオラフ・ステープルドンの諸作や、C・S・リュイスの『沈黙の惑星より』、オルダス・ハックスリイの『すぱらしい新世界』などと比べるとき、アメリカのSFは、何か新しいものを生みだすにはあまりにも覇気に欠けていた。そんな時代に、当時二十七歳の新進SF作家であったジョン・W・キャンペルが、群小パルプ雑誌の一つにすぎなかったアスタウンディング・ストーリーズの編集長の役を引きつぎ、SFに革命をもたらしたのだ。
 革命とはいっても、その基盤となる思想はいま思えばそれほど画期的なものではない。要するにSFがサイエンス・フィクションである以上、そのサイエンスは誤った科学知識に基づいたものであってはならないし、たとえアイデアが超科学的であろうとそれは現代科学では肯定も否定もできない領域での可能性としては容認できるものであるぺきで、しかもフィクションであるからには、小説として優れたものでなけれぱならない。そうキャンベルは考えたのだ。しかしこれが、今あるSFへの突破口を切りひらき、現代の巨匠たちが次々と輩出する、いわば「SFの黄金時代」が生まれるのである。ヴァン・ヴォクト、ハインラインスタージョン、クレメント、アシモフ、ディ・キャンプ、シマック、ライバー、力ットナー、ラッセル、ウィリアムスン、ラインスター、ハバード、ペスター……このような作家たち(何人かはこの全集の中核となっている)がすべて、キャンベルの手で育てられ、あるいは導かれたといえば、あなたは驚かれるだろう。だがそれは事実であり、みながアスタウンディングの隆盛の頂点であった一九三九年から四六年のあいだに、最も重要な作品の幾つかを、ヴァン・ヴォクトなどはそのほとんどを発表しているのだ。
 マサチューセッツ工科大学在学中にSFを書きはじめ、三〇年代なかばにはE・E・スミスに次ぐ人気作家となっていたキャンベルは、アスタウンディング・ストーリーズの編集長の地位についた翌三八年、誌名をアスタウンディング・サイエンス・フィクションに変えると、それまで彼がスペース・オペラを大量生産するかたわら、すこしずつ書いていた新しい傾向の作品を、他の作家にも求めはじめた。もっとも当初は、彼の要求に沿う作家は少なく、やむをえず自分の作品をドン・A・スチュアート名義で自分の雑誌に発表し、模範を示さなければならなかった。だがそれらは、従来のバルブ雑誌には見られない、完成した、新鮮な、おとなのSFであったので、ほんの一年ほどで読者と作家の支持を得るのに成功し、アスタウンディングの内容は変りはじめた。そのころの彼の作品は、中篇「影が行く」を表題にした短篇集にまとめられ、今でもSFのオール・タイム・ペストの一つとして読まれている。
 だが彼の厳格な編集方針についていけない作家も多く、自分の要求を満たすことのできる新人、科学的教養をある程度持つ新人を掘りだす必要が起ってきた。こうしてハインラインアシモフ、クレメントといった技術者作家、科学者作家が生まれ、また技術者や科学者ではないけれども科学を敬遠しないヴァン・ヴォクト、シマック、ラッセルらが生まれ、それとともに読者のなかにも科学者や技術者が急激に増えていくのだが、これが後年弊害となり、悪くいえぱアスタウンディング(一九六〇年には、アナログと改称する)は科学偏重のSF雑誌と見られるようになる。しかし一九四〇年においては、キャンベルの意図は正鵠を射たものだった。ハインラインとクリーヴ・カートミルの小説が、それぞれ当時はまだ公表されていなかった原子力の秘密を漏らしたとしてFBIの捜査を受けたことは有名だし、そのほかにも予言に満ちた優れた小説が、ほとんど毎号目白押しに掲載された。
 こう書いてみると、キャンベルは科学一辺倒にも思えるが、じっさいは決してそうではない。科学とは別に、SFに必要なもう一つの要素は自由な空想である。三九年には彼は、アスタウンディングには戟せられないファンタスティックな作品を専門にする幻想小説アンノーンを創刊した。このなかからも、ライバーのファファードとグレイ・マウザー・シリーズや、ディ・キャンブのハロルド・シェイ・シリーズなど不滅のファンタジイが生まれている。(アンノーンの寿命は、一九三九年から四三年までの五年間。四一年には隔月刊となり、大戦による紙不足で休刊になるまでにわずか三十九冊出たにすぎないが、今でも復刊の要望が絶えないほどその質は高く、発行部数が少なかったせいもあってその存在は半ぱ伝説化されている)
 アンノーンを創刊した結果、キャンベルの全生活は雑誌編集に忙殺されるようになり、小説執筆は断念せざるをえなくなった。しかし代りに彼は、仕事の合間に思いついたアイデアを、アイデアに窮して困っている若い作家たちに与えて書かせたのだ。アシモフのロボット工学三原則は、アシモフが書いた短篇からキャンペルが抽出し、提示してみせたものだ。そして、それをもとに一連のロポット小説が書きつがれていくことになる。アシモフの最高傑作の一つ「夜来たる」も、根底にある発想はキャンベルのものだし、ジャック・ウィリアムスンの『ヒューマノイド』、レイモンド・F・ジョーンズの「騒音レベル」などいちいち例をあげるまでもなく、アスタウンディングに載るかなりの作品が、作家とキャンベルとの徹底的なディスカッションから生まれた、ほとんど合作といっていいものだ。
 ヴァン・ヴォクトについては、そういった逸話は何も伝えられていないが、新しい科学や学説に貪欲な好奇心を見せるキャンペルの態度が、SF作家になる前は女性向きの告白小説を書いていたというヴァン・ヴォクトを強く刺激したと想像することは難くない。アイデア・ストーリイを身上にするヴァン・ヴォクトには、何よりも意表をついた科学分野でのアイデア発掘が必要であった。コージプスキーの一般意味論、ぺーツ式近視矯正法、催眠術、そしてL・ロン・ハバードダイアネティックスでは、いちはやく学説をアスタウンディングに掲載したキャンベルに共鳴して、その主唱者の一人となっている。(ダイアネアティックスは精神療法の一種で、癌、精神病をはじめとするあらゆる難病が、心のもちかた一つで全快するといわれ、一時は全米を風靡したが、のちにその非科学性があばかれ衰退した。大戦によって、ハバードの精神は異常をきたしたらしい。復員してきた彼の頭髪は、まっ白に変っていたという。ダイアネティックスにキャンベルが賛同したのは、結果的には誤りだったが、ふつうの人間なら尻ごみしてしまう革命的な理論にすすんで耳を傾けようとするキャンベルの態度は認めなくではならないだろう)
 ハインラインアシモフ、ディ・キャンプらが大戦にかりだされたあと、ヴァン・ヴォクトは、めくるめくようなプロットと、アイデアの速射と、華麗な文章、そして読むものを時間と空間の底知れぬ淵につきおとす確かな空想力を武器に、アスタウンディングの孤塁を守りとおした。その小説は、もちろんSF作家としての彼の天性の素質の現われだが、キャンベルがいなかったなら、これほどまで有効に発揮されはしなかっただろう。