イギリスSFの系譜−−ニューワールズ誌の周辺−− 伊藤典夫

 先に発売された『ウインダム』篇の月報で、同じ表題のもとに、五○年代半ばまでのイギリスSFの発展を辿ってみた。ここでは、その続篇として、それ以後の状況を眺めてみよう。
 五○年代初頭、アメリカに起こったSFブームは、それからあまり時を経ずしてイギリスにも影響を及ぼす。ペーパーバックばかりだった通俗SFの分野に、ハードカパーが現われ、雑誌もニュー・ワールズのほか、オーセンティックSF、ネビュラ、サイエンス・ファンタジイなどが創刊され、底辺の質もしだいに向上していく。ラッセル、ウインダム、クラークら既成の大家にまじって、J・T・マッキントッシュ、E・C・タブ、ラン・ライト、ゲネス・パルマー、ジョン・クリストファー、チャールズ・エリック・メインなどが、作品を発表しはじめるのは、このころである。彼らは立派に成長するが、彼らを育てた雑誌のほうは、もともとアメリカの専門誌のイギリス版に太刀打ちできなかったのたろうか、ネビュラが消え、オーセンティックが潰れ、五八年には、残るはニュー・ワールズとその妹誌誌サイエンス・ファンタジイだけとなってしまう。
 しかしそのころには、ブライアン・オールディス、J・G・バラード、ジョン・ブラナー、ジェイムズ・ホワイトなど、イギリスSFのつぎの時代をになう作家がデビューしており、専門誌の将来はそれほど暗いものではなかった。
 五〇年代後半に登場したマッキントッシュら第一次の新人に加わって、短篇で修行を積んだオールディスら第二次の新人が単行本の分野に進出する六〇年前後は、大家、中堅、新人いりみだれて、イギリスSF界空前の盛況である。
 オールディス『ノンストップ』1958、ブラナー『永遠への出口』1958、メイン『引きすぎた潮』1958、ホワイト『宇宙病院』1962、クリストファー『世界の冬』1962、アーサー・セリングズ『無言の話者』1962(以上、未訳)、エドマンド・クーパー『アンドロイド』1958、ウインダム『地衣騒動』1959、クラーク『渇きの海』1961、フレッド・ホイル『秘密国家ICE』1959−−これだけあげれば、およその状況はおわかりいただけると思う。また一九六〇年には、キングズリイ・エイミスの長篇評論『地獄の新地図』(未訳)が出版され、SFに対する一般の認識をいっそう高めた。
<新しい波>と呼ばれるものの登場は、そのすこし後、一九六四年あたりに起こる。そもそもの始まりは、なんとニュー・ワールズとサイエンス・ファンタジイの廃刊決定からだった。単行本出版は依然として盛況で、雑誌の分野でもオールディスやバラードに続いで、コリン・キャップ、ジaゼフ・グリーン、マイクル・ムーアコック、ジョン・ラッカム、B・J・ペイリーなど有望な新人たちが現われていたのだが、彼らの活躍も発行部数を伸ぱすまでには至らなかったらしい。六四年三月号をもって、二誌の廃刊が本決まりになる。ところがその直後(廃刊が決定して九時間ほど過ぎたころだというが)、それらの買い手が現われたのだ。ロバーツ・アンド・ヴィンターといい、小さなペイパーバック出版社である。売れ行き不振の原因は、もちろん編集長ジョン・カーネルにある。そこでカーネルの推薦で新編集長か選ぱれた−−ニュー・ワールズには、わずか二十五歳のマイクル・ムーアコック、サイエンス・ファンタジーには、アマチュアだがSFに造詣の深いキリル・ボンフィーオリ。
 そしてこのニ誌は、二人の気鋭の編集長のもとで、まったく新しい何かに変貌を始める。彼らはまず雑誌の内容を、アメリカSF寄りの通俗的方向から脱皮させる方針を決めた。どちらへ進むべきか。もちろん、イギリスSFの名作が常にそうであったように、ハイブラウな読者の要求にも応えられるシリアスな方向へだ。しかしSF自体がパターン化してきた今、実験もしなくてはならない。J・G・バラードが拓きつつある分野は参考になるだろう。サイエンス・ファンタジイは、SFインパルスと改称された。
 それから一年、海のものとも山のものともつかなかった駆けだし編集長ムーアコックが、編集の天才であることが判明した。かつてのサイエンス・フィクションの雑誌は、科学にこだわらず、想像のすぺての領域を扱い、前衛的手法もすすんで取り入れる、世界でもっとも大胆なスペキュレイティヴ・フィクションの雑誌にかたちを変える。
 ムーアコックの厳しい批評に耐えて、新しい作家が生まれ、編集長の意気込みに賛同してアメリカの新鋭たちが大西洋を越えて原稿をよこすようになる。デイヴィッド・I・マッスン、ジョージ・コリン、ラングドン・ジョーンズ、キース・ロバーツチャールズ・プラットアメリカ人では、トマス・M・ディッシュ、ジョン・T・スラデックロジャー・ゼラズニイノーマン・スピンラッドたちだ。
 ところが、またしても不幸が訪れる。雑誌そのものは登り坂にあるにもかかわらず、肝心の出版社がとつぜん破産してしまったのだ。両方とはいかぬまでも、せめてニュー・ワールズだけは、イギリス短篇SFの最後の砦として残しておきたい。ムーアコックと協議したオールディスは、イギリス政府の直属機関である芸術奨励評議会(アート・カウンシル)に援助をあおいではどうかと提案する。早速、申請が出され、オールディスの手で窮状を訴える手紙が各方面に発送される。手紙の返事は、まずアントニイ・バージェスから来た。ぞのような申請が出されているのなら、アート・カウンシルヘの助言を私も惜しまない、そんな内容だった。やがてカウンシルの一員であるアンガス・ウィルスンからも返事が来る。私一人の決定でできることではないが、ニュー・ワールズヘの助成金が議題にのぼりさえすれば、なんとかできるはずだ。
 助成金はおりた。百五十ポンド。日本円にして二十万円ほどにすぎないが、アート・カウンシルにしては最高の金額である。それが一九六七年。現在、ニュー・ワールズは、編集長ムーアコックの手で、小規模ながら着実に発行されており。ディッシュやスラデック、マッスン、プラット、ロバーツなどの作品がようやくハードカバー出版社に認められてきたところだ。これからニュー・ワールズがどうなるかは、まだ予断を許さないが、スベキュレイティヴ・フィクションの将来は、少なくとも安心してよさそうである。