私のSFとのつき合いは昭和十四、五年、まだ小学校二、三年のころから始まる。もちろん、そのころ、SFなんてシャレた言葉はまだ無かった。どことなくやぼ臭い”科学小説”と呼んでいた時代である。世相的には太平洋戦争直前、戦争遂行のための科学振興政策が声高に叫ばれだしたころでもある。なかでもいちぱん印象深く思い出されるのは、作者の名前を失念したが、単行本の「火星探険」という漫画。想えば、そのころから今に劣らず物語調の漫画ブームたった。タンク・タンクロー、冒険ダン吉、マル角さんチョン助さんなど、いかにも個性的な漫画ヒーローたちが目白押したった。
その数あるヒーローたちを押しのけて「火星探険」のみ鮮やかに記憶にとどめているのは、その漫画の発想があまりに奇抜、読者の常識をはるかに破っていたからである。
この漫画の主人公は、火星へ行って、火星人の主食であるトマトを食べる。すると、腹の中でトマトが芽を出し、大騒ぎ。なんでまたトマトを主食にするのか、不合理ゆえに我信ずというほかなかったか、それに輪をかけて腹中で芽をだすとなっては、いかに子供ながら、その漫画的発想の飛躍、奇想天外さに目を白黒、そのときの印象をいまも鮮やかに憶えているのである。
この漫画の中に、火星人の都として”シルチス・マジョール”という妙な地名がでてきた。当時、ひじょうに新鮮なひびき、いかにもエキゾチックな語感で、わけはわからないながら幾度も口ずさみ、憧れたものだ。それがアントニアジの火星地図に実際にある地名であって、”大シルチス”とよぱれる火星面上の特徴的な暗部三角形のことだと知ったのは、かなりのちのことである。
とにかく、この奇想天外漫画のおかげで、私はいまもって天文学の魅力からぬけ出せすにいる。
だから一九六五年、マリナー四号が撮影し電送してきた二十二枚の写真を手にしたとき、真っ先に気になったのが大シルチスの地形。無気味な環状山のならぶその写真を眺めて、私は奇妙な欲求不満的異和感をいだいた。どこがどうというのではない。こんなはずではないという感じ。
私は二十ニ枚の写真をあらためて綿密に検討した結果、大シルチスはいままで天文学的に信じられていたような低地形でなく、むしろ火星面から隆起している高地形ではないか、と思われた。この着想はアメリカの天文学者カール・サガン博士とほとんど同時発見だったが、私はもう一歩先へ、「火屋探険」的飛躍を押し進めた。もし、大シルチスか高地形なら、反対に火屋のいわゆる”大陸”とよぱれる部分は、ひょっとすると盆地状の低地形ではないか。なかんずくヘラス大陸は他の観測証拠からしても、ざっと深さ五千メートルくらいある大隕石孔かもしれない。そう推定して某天文学雑誌に発表した。当時信じられた火星学の常識を破る結論であり、天文学に造詣深いばかりか自身、望遠鏡で何度も火星観測をおこなっていたその雑誌の編集長も、たまげて確認の電話を入れてきたほどだ。
ところが、これが的中した。その後のマリナー六号・七号の観測により、ヘラス大陸は五千メートルから一万二、三千メートルの深さのくぼ地とわかり、火星学者の新しいミステリーとなっている。これを予言したのは世界広しといえども私一人。そしてもとはといえば火星人のトマト騒動のショックからであり、まさしく漫画「火星探検」さまさまである。このように幼年時代、SF的飛躍からうけたショックは、かなり深く脳裏に刻みこまれて、その人の一生に陰に陽に影響を与えるようである。
最近、航空機ラッシュ解決のため、大阪湾上に”浮かぶ飛行場”をつくる案が発表されているが、これなども、ひょっとすると、それを立案した人たち、また、それをもり立てる関西財界のお歴々の頭の中に、若かりしころ読んで感銘を受けた海野十三作「浮かぶ飛行島」のイメージがまだひそやかに息づいていないだろうか。私の記憶では、この作品のイラストの一つに、非常にリアルなコの宇型の浮かぷ飛行島の全容が描かれていたように思う。今もありありとその挿絵の雄姿を思い浮かべることができる。
当時出版された「明日の飛行機」(昭和八年刊)という解説書を古本屋でみつけたところによると、昭和初期のころ、アメリカでは盛んに”人工海上飛行場”の夢を論じ、劇映画にまでなった。その夢のプランの一つに、ちゃんとコの字型の浮かぶ飛行場かあるのである。
ほかにも、戦前SFから受けたイメージをひそかに愛玩していると思われる人たちは数多いようだ。
いくつか気づいた例を挙げてみると、まず故円谷英二監督。怪獣物はとにかく、長年アイデアを暖めていたといわれるテレビ映画”空飛ぶ潜水艦”に私は海野十三作「大空魔艦」の面影を見る。インドのアクバル大帝の違宝をめぐって、空を飛び海に潜る大潜水飛行艇の活躍する話である。
私はこの大空魔艦に憧れるあまり、小学五年のころだったか、木をけずった胴体に、紙で伸縮自在の翼を作って取りつけ、防火用水の中に突っこんで苦心の作をいっぺんでダメにした記憶がある。また、戦後SFの草分である矢野徹氏のジュヴナイル作品「新世界遊撃隊」も、その題名を平田普策「昭和遊撃隊」に負っているだろうし、科学解説書でベストセラーになった横浜市立大学助教授都筑卓司著「四次元の世界」の中では、たぶん海野十三作「地球要塞」と思われる、四次元生物によって空中に釣上げられた戦艦のイラストに感銘を受けたことが告白されている。
「今のSFの限界は科学そのものにある」と、論ずる文芸評諭家江藤淳氏にしても、その昔、山中峯太郎「見えない飛行機」やら「世界無敵弾」をむさぼり読んだ一人であることをどこかの随筆に書いている。