全身が痛い

昨夜は24時半に就寝。
今朝は頑張って10時に起床。首をはじめ、全身が痛い。「冷房病の人間が、真冬に5日間仕事に行った」結果だなあ。


自宅で、本を読んだり、ビデオ見たりして、ダラダラとすごす。


夕食食べたあと、20時から22時まで寝てしまう。そのあと、風呂にもはいらず、睡眠薬飲んで、就寝。


あわせて読みたい

井筒監督、いかりや長介が死んだ時にワイドショーでケナシマクッテたんだ(はてなキーワードより)

2004年、テレビ朝日スーパーモーニング』番組内で、故いかりや長介(井筒氏はかねてからいかりやの役者としての資質を酷評していた)の訃報についてコメントを求められた際、「ドリフとか役者のいかりやさんとか言いますけど、 私は、てなもんや三度笠で育ったもんですからよくわからないですね。役者としても全くわからないんで別に悲しくもないですけどね」 と言い放った。多数の顰蹙も買ったが、「よくぞ言った」と快哉を叫ぶものもいた。


井筒和幸、やるじゃん。最高だね。

ビデオ「F・W・ムルナウのサンライズ」(asin:B00005H6R0)

図書館で昨日借りた、サイレント映画
田舎に住む若夫婦。そこに、都会から美女が避暑に来る。その女に夫は誘惑され、妻をボートに乗せ、池に突き落としてころそうとするというサスペンスな展開。だが、妻の怖がる顔を見て後悔し、彼女への愛を誓う。


後半は、すっかり仲直りして、遊園地にでかけて、「的に当たれば子豚が出てくるゲーム」に興じたり、ダンス場でロシア風ダンスを二人で踊ったり。前半のサスペンス風はなんだったんだの、ノンキな展開。


でも、ラストは、帰りのボートに乗っている際、嵐にあって、妻は池に落ち、夫だけは岸に泳ぎつく。でも、救助隊が妻をみつけてハッピー・エンド。なんか、バラバラなストーリーの、見ていて頭がおかしくなるような映画だった。
でもまあ、この時代の映画って「見世物」だったんだよねえ。映画の「見世物性」を強く感じる作品だった。


はてなでムルナオのキーワード検索してみたら、蓮実重彦が面白いコトを書いているのを引用している方(http://d.hatena.ne.jp/Re-TATTAKA/20080129)がいたので、孫引き。

ゴダールムルナウに「間に合わなかった」ということは、だから、『サンライズ』がジャン=リュック自身の生誕以前にすでにこの世界に存在していたという時間的な前後関係とはいっさい無縁の事態を意味する。「遅刻」とは、何にもまして「不在」の体験なのである。あの路面電車の息をのまずには見られない滑走運動を知らなかったにもかかわらず、人なみのフランスの青年として、ゴダールルネ・クレールやカルネやオータン=ララをごく自然に知ってしまっていた。そのことの「取り返しのつかなさ」の自覚だけが、「間に合わなかった」という現実をきわだたせるのである。そこに、初めて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」が生まれる素地がかたちづくられる。(ゴダールの「孤独」――『映画史』における「決算」の身振りをめぐって/蓮實重彦
http://www.mube.jp/pages/JLG_9.html


そう。妻が、「怖い夫」から逃れてハシっていると、本当に「偶然のように」路面電車の駅があって、そこで二人とも電車に乗り込んで、都会に行くんだよね。
まあ、「ボートに乗る」時点で「赤ん坊を祖母に預けて」出て行っていたから、「ボートで池を渡る→路面電車に乗る」で都会に行こう、と夫は妻を誘って出たワケだが。観客からすれば、あの唐突な路面電車の登場は、確かに、「息を飲むような」光景ではあった。

ビデオ「手塚治虫の世界1 鉄腕アトムの発見」

手塚プロが手塚の死後に作成した、彼の人生と作品を追う、ビデオ3部作の1作目。誕生から鉄腕アトムのアニメ化までを扱う。
手塚の父親が、家族を撮った8ミリ映像が残っていて、生々しくて面白かった。
でも、初期の作品は、タッチがかなり違うねえ。漫画史研究的にも、「手塚全集の描き直し版」ではなく、初期の状態のまま、刊行すべきだと思った。

小谷野敦「日本の有名一族」(幻冬社新書 asin:4344980557)

随分前に買ったものだが、いまごろ読み終わった。
で、こちらに、小谷野先生も、下記に、「各所からの指摘」を書かれているが・・、私が気がついた点。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071109
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20071024

本日の到着品