1-01-01から1ヶ月間の記事一覧
「……SFは高級な一種の白痴芸術ではないかと思った。たとえば歌舞伎の荒唐無稽さやオペラのばかばかしざに通じてゆくところがある」といった、ある中くらいの文芸評諭家がいた。この人は知性的なのだろうか、それとも痴性的なのだろうか。どうせ物にたとえ…
灰色の平原が金属の一枚板のように視界の限りひろがっている。空は乳白色で何もない空間。地平線に向かって六本の平行線が真直に並んで無限に走っている。なんとも冷たく寂しい情景で、見ているうちに我慢ができないほど無気味になり恐怖の叫びをあげると、…
一頃のぼくにとってSFとは、「火星年代記」と「鋼鉄都市」がそのすべてであり、他を悉く消去してもこのニ作さえあれば良いと頑固に信じていた。勿論、ブラッドベリとアシモフの最高作であることは、大概のつむじ曲りでも認めるだろうし、てはフィニイはど…
「日本SF・幼年期の終り」に収録。
「日本SF・幼年期の終り」に収録。
夏の夜のことだ。筒井家に解毒剤をもらいにいくために青山通りを歩いていた。まるでシェクリイの短編だな。自分と話している女の表情や身のこなしが筋肉の収縮運動としてありありと見えてがっくりきた男の話がたしかシェクリイにあったとおもう。ところで私…
小松左京(こまつ・さきょう) 昭和六年大阪に生まれる。 昭和二十九年京都大学文学部イタリア文字科卒。 日本SF作家クラブ会員。 日本未来学会会員。 主著書 「日本アパッチ族」(光文社刊) 「復活の日」(早川書房刊) 「エスパイ」(早川書房刊) 「地…
「日本SF・幼年期の終り」に収録。
さきごろ京都でひらかれた国際未来学会議での左京さんの役まわりは、「イベント委員長」であった。要するに開会式から閉会式まで、あれこれの催しものを計画し実行する係なのである。 この人事−−というのも大げさな話だか−−は、たまたまご本人の欠席なさった…
初対面の人に私はよく「意外ですなあ、もっと小柄でやせた人と想像していました」と言われる。短い作品を多く書いていることから、そう思われているのだろう。現物は大柄で、中年ぶとりになりかけ、顔つきは子供っぽく、声は低音でと、作品のイメージにあわ…
星新一(ほし・しんいち) 大正十五年東京に生まれる。 昭和二十三年東京大学農学部農芸化学科卒。 日本SF作家クラブ会員。 日本推理作家協会会員。 主著書 『人造美人』(新潮社刊) 『妄想銀行』(新潮社刊) 『夢識の標的』(早川書房刊) 『宇宙のあい…
「日本SF・幼年期の終り」に収録。
NHKテレビで放映していた「プリズナーNO6」が、わけのわからない終りかたをしたので、だいぶ腹を立てたひとがいるようだ。局の担当者は、視聴者からの電話で、なんども説明をもとめられたらしい。 早川書房の編集者だったころ、私はジョルジュ・シムノ…
星新一のことを書こうとすると、ぼくはいつもきまって、奇妙なためらいを感じさせられる。 ある程度は知っているはずの−−あるいは、知っていなければならないはずの彼のイメージが、まとめようとすると、たちまち崩壊を始めるからである。もちろん、それは、…
安部公房(あべ・こうぼう) 大正十三年東京に生まれる。 昭和ニ十三年東京大学医学部卒。 主著書 『壁』第二十五回芥川賞受賞(月曜書房刊) 『砂の女』(新潮社刊) 『他人の顔』(講談社刊) 『水中都市』(桃源社刊) 『燃えつきた地図』(新潮社刊)
「日本SF・幼年期の終り」に収録。
『第四間氷期』(講談社旧34・7)のあとがきで、安部公房氏は日常性の問題について、次のようにのべている。 日常の連続感は、未来を見た瞬間に、死ななければならないのである。未来を理解するためには、現実に生きるだけでは不充分なのだ。日常性というこ…
安部公房氏との最初の出会いは、『第四間氷期』のせいである。早いもので、考えてみると、もう十三年くらいも前のことになる。私はその頃、朝日新聞社の科学部に籍をおいていた。当然、いろいろな人との交渉があったが、そのなかに、文学好きの好青年が一人…