SFとの出会い 中島靖侃

 灰色の平原が金属の一枚板のように視界の限りひろがっている。空は乳白色で何もない空間。地平線に向かって六本の平行線が真直に並んで無限に走っている。なんとも冷たく寂しい情景で、見ているうちに我慢ができないほど無気味になり恐怖の叫びをあげると、紋帳の裾をはねあげ外へとび出した。廊下に坐ってから夢だったと思う。終戦後まもない或る日の夜明け前、もう、電灯が外に見えてもいいんだと、雨戸を閉めずに寝ていた。ガラス戸の外では弱い嵐といなづまが交錯していた。両親は疎開して家に一人残りなかば栄養失調の体に三十九度近い発熱があった時だ。


 日射しがまぶしい。一面みどりの麦畠の中の道を友達の家まで歩いて行く。十メートルくらい横の麦穂の上に真紅の服を着た女の子が突然現われたのが眼鏡の端に映る。ハッとひかれて視線を向けると、もうそこには何も見えない。白昼夢。


 あ、またここへやって来た。どうしてここへ来る夢ぱかり見るのか、もう三日日だ。いや先週の分までいれると五回目だ、と夢の中で思う。現実には一度も見たことも行ったこともない沼のほとり、囲りには葦が繁って道はない。沼の向うには何があるか、行ってみたい。よし、いつか夢の中で両足を一所懸命こいでいたら空を飛ぶことかできた。あのてで行ってやろう。私は空中に跳び上がり一所懸命駈け足をする。少しずつ高く浮上する。もっと速くもっと遠く足を漕いで前進をするが、沼は思ったより広く、向う側はまだ見えない。四分の一ほど沼を渡り、もっと高く昇ろうとした所で目がさめる。よし、明日、もう一度同じ夢を見て、今度こそ向う側に行こう。少年の頃の夢。


 庭で土いじりをしていると蜂が足にとまってしきりに爪で引っ掻きはじめた。胴がひどく細くくぴれたジガバチだ。足を退けると、その下の砂粒を蜂か引きずり寄せた。穴がある。蜂は近くから青虫を運んで来て穴に入れ人口を元を砂粒で塞ぎ、どこかへ飛んで行った。穴を掘って見ると麻酔させられた青虫に真珠色をした米粒のような卵が着いている。瓶の中に巣を移し、何日か見まもる。やがて白いうじになり青虫を食い尽し蛹となり蜂になって出てくる。奇妙なおどろきと感激。


 幼少年時代から現実より本の中の世界で過して来た方が多い私。雑読乱読、万を越す量読で、中にはSF的なものも多数あったと思うが今はおぼろの記憶しかない。意識してあさり治めたのはニ十代も終りの頃、元々社の最新科学小説全集あたりからである。外出すると、あちらで一冊、こちらでニ冊と集め、アメージングストーリイズとか、少年科学小説全集、世界空想科学小説全集などが今も廊下の棚の上で埃をかぶっている。
 本格的にSFと出会えたのは、SFマガジンの創刊号から表紙絵を担当する幸運にめぐまれたことによる。読むだけの立場から読ませる側の一員に加わったわけだから、幼少年時代の幻想が現実になり、私の表現意欲、探求意欲をかきたて満足させてくれることになった。それからはSFについて本気で取組み、日本に今までなかったSF画を作るべく色と形の感覚で創意、工夫、実験に努力をしたつもりである。
 雑誌やポケットブックも百点近くずつ手にはいったので読書欲も満たされた。
 画家としての仕事をさらに開拓する上で、技術的にも精神的にもSFとはもう切っても切れない仲になりつつあるような気がする。