左京さんのババ抜き 加藤秀俊

 さきごろ京都でひらかれた国際未来学会議での左京さんの役まわりは、「イベント委員長」であった。要するに開会式から閉会式まで、あれこれの催しものを計画し実行する係なのである。
 この人事−−というのも大げさな話だか−−は、たまたまご本人の欠席なさった理事会で決定された。とにかく、ニ百人以上の、さまざまな国からの参加者をアッといわせる趣向を考えてもらうことのできる知恵者はかれ以外にいないだろう、と会長の中山伊知郎さん以下全員が満場一致でこの委員長任命を決定したのである。
 数日経ってから、わたしは左京さんに会う機会があり、カクカクシカジカと通達したところ、かれは、あまり大きくもない目玉をむいて、ヤだよ、そんなの知らないよ、と絶叫した。まあ、これは無理もない話で、ちょうどそのころ、左京さんは、万国博テーマ館の地下室でヘルメットをかぷり、展示のプロデューサーとして、世界各地からあつまった民俗資料を飾りつけるのに全力をあげていたのであった。
 じつのところ、このテーマ館うんぬんというのも、かれをとりまく悪友だのの陰謀のニオイが濃厚であって、ぼう大な計画書をかれに渡し、さア、小松ちゃん、やってよ、あんたをおいて人はないんだから、という筋書きになっていたかのごとくに見えるフシかないでもないのである。じっさい、ことしの冬のある晩など、わたしたち数人、コタツに入って酒を飲みながら、ああ、左京はいまごろ、千里のまっ暗な地下室でウゴメいているのだね、といささかシンミリと罪悪感をおぼえたりしたおぽえがある。
 さて、そういう地下生活で疲れ果て、もうSFなんか書けなくなっちまった、冗談じゃないよ、というヤケッパチの心境になっている左京さんに、こんどは未来学のイペントを押しつけたのであるから、かれが悲鳴をあげるのもムリはない。それに、これは理事会の一方的決定であったのだから、異議申立ての自由はあった。そして、たしかに、かれは異議を申立てたような気もするのだか、いつのまにかウヤムヤに既成事実ができあがり、しぱらくたつと、左京さんは、ついに強迫観念にとりつかれ、しようがないなア、といってオミコシをあげて下さったのである。
 イペント委員長というとキコエはいいが、これはべつだん委員のいる委員会の長というわけではなく、どっちみち左京さん単独個人、ということだ。長、というのは景気をつけるためのトリックで、ふと気がついてみると、左京さんただひとり、会期中のすぺての行事の責任者ということになっていた。さすがにたまりかね、ヒトを出せ、ヒトがいなけりゃどうにもならない、と叫ぶ。
 ところが、時期がわるい。折しも学年末であるから、学生アルバイトをさがすにしても成績のいいやつは卒業をひかえて心うきうき、アルバイトなんてツバもひっかけないし、在学生も帰省してしまっている。とにかく、かきあつめてみると、これがことごとく留年組で、ひとクセもふたクセもある怪人物ばかり。いちいちこましゃくれたリクツをこねまわし、左京さんの顔をみると、タバコくれ、メシ食わせろ、という手合いなのである。
 左京さんは、空をあおぎ、バパ抜きだねエこりゃあ、と嘆息をもらした。大学の先生がもてあましたのが自分のところにまわってきた、という意味である。そして、この数人の学生をかれはニャロメグループと命名した。
 何回かニャロメとの会合がつづいたらしい。らしいというのは無責任な言い方だが、このニャロメは三人寄ると雑音はなはだしく、会合は事務局からはなれた一室でやってもらうことにしていたのである。だが、ひと月ほど経ったとき、わたしはニャロメに重大な変化が起きたことに気がついた。かれらは左京さんに心服したのである。大学の先生にはいちいち異をとなえる学生が、左京さんの指示のもとに眼をかがやかせ、ハイ、ハイ、とうごくようになったのである。
 そのようなワケで、学会の内容はともかくイベントのほうは大成功であった。開会式でニャロメが数台のプロジェクターをあやつって左京さんの演出による映像ショウをやったのが好評で、外国人参加者からは、じぷんの報告にスライドを使うのだが、ぜひ、あのワンダフルな映写技師にやってもらいたい、という注文が殺到し、ニャロメはイエス・イエスとプロジェクターをもってかけまわることになった。ついひと月まえまでは、アメリカ製プロジェクターをはじめて見て、へえ、これ、なに? などと心細いことをいっていた連中が、映写技師になってしまったのである。
 左京さんのあの精力的なはたらきのなかにはこういう面がある。ババ抜きとかれはいうけれども、ふつうの人間にとってのパパ抜きは左京さんには通用しない。かれが、ジョーカーを手にしたとたん、ゲームはパバ抜きではなく、ツー・テン・ジャックになっているのである。ジョーカーの使いようが変っているのである。わたしは、かれの作品を掛値なしにぜんぶ読んだ。作品についても、たくさんの賛辞をおくることができる。しかし、わたしにとっては、人間としての左京さんの偉大さが、まずだいじなのだ。
 会議がおわってから、ニャロメがおしゃべりしていた。
 「小松さんってやさしい人だな」
 「うん、ほんとにいい人だな、思いやりがあって……」
 「会いたいな」