秋到来で通勤時の服装変更 午前中は眠いし足が痛いしで、仕事にならず
昨夜はなかなか寝つけず・・1時半就寝。
今朝は7時起床。眠い、そして、昨日の「ダンボール箱の室内移動」のせいか、足が痛い。
がんばって出勤。とりあえず、もう秋ということでで。
先週まで導入していた「通勤時はTシャツにトレパン。職場についてから、ビジネス・ウエアに着替える」という方式はやめ。普通のサラリーマン・ルックで出勤。
午前中は、眠いわ、足が痛いわで仕事にならず。
午後は、それなりにお仕事。
18時退社。
帰宅すると、義姉(妻の姉)から「私の誕生日祝い」に、大量のお菓子類が。ダイエット実行中のうちら夫婦にとって、最強の「毒」である。義姉が誕生祝いを送ってくれると話が出た際に、お菓子は結構ですと、断っておけばよかったなあ。
昨夜の寝不足で、20時半〜22時の間、寝てしまう。妻がお礼の電話を義姉にしている声で、目が覚めた。
唐沢俊一の「ガロ」関係のガセ・・
こちらで(http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20090907/p1)。
唐沢俊一の渡辺和博追悼関連文が紹介されていたのだが。
http://moura.jp/liter/toukouran/032/
まずは、相変わらず時系列がおかしい。
編集部に在籍しながら、1975年に「ガロ」で漫画家デビューした渡辺の作品に対する、読者の感想文(76年1月号)を紹介しておきながら。
で、この1年後、南氏は青林堂を退社し、ガロの実質的編集長のあとがまを、アルバイトから一応の正式社員になったばかりの渡辺氏に丸投げしてしまうのである。
と書いている。
同じ文章で、
'72年からこの'78年まで、実質的にガロの編集長を務めていた南伸坊氏
とも書いているのに。時系列がおかしいでしょ。何できがつかないかな。
ちなみに、南伸坊の青林堂退社はおそらく1979年のはずで(Wikipediaの「南伸坊」を編集する際に、確かソースを確認した記憶がある)。
そして、渡辺和博の退社は翌1980年である(みうらじゅんのデビューが同80年で。彼のデビューを見届けてから辞めたのかな)。
それなのに唐沢の文章では。
結果、渡辺氏は、南実質編集長時代の、サブカルチャー誌としてのガロの性格をどんどんと発展させていき、ますますガロの尖端性を高めたが、尖端性とは語を変えて言えば一般人排除ということであり、事実、ガロの部数はどんどん減っていって、最終的に経営が成り立たないところまで行き着かせてしまったのであった。
と、一年しか編集長をしていない渡辺和博に、妙な責任を負わせてしまっている。
「ますますガロの尖端性を高めた」のは、続く手塚能理子(実質編集長)時代のお話だと思うけどねえ。