唐沢俊一の「ガロ」関係のガセ・・

こちらで(http://d.hatena.ne.jp/mailinglist/20090907/p1)。
唐沢俊一渡辺和博追悼関連文が紹介されていたのだが。
http://moura.jp/liter/toukouran/032/


まずは、相変わらず時系列がおかしい。
編集部に在籍しながら、1975年に「ガロ」で漫画家デビューした渡辺の作品に対する、読者の感想文(76年1月号)を紹介しておきながら。

で、この1年後、南氏は青林堂を退社し、ガロの実質的編集長のあとがまを、アルバイトから一応の正式社員になったばかりの渡辺氏に丸投げしてしまうのである。

と書いている。
同じ文章で、

'72年からこの'78年まで、実質的にガロの編集長を務めていた南伸坊

とも書いているのに。時系列がおかしいでしょ。何できがつかないかな。


ちなみに、南伸坊青林堂退社はおそらく1979年のはずで(Wikipediaの「南伸坊」を編集する際に、確かソースを確認した記憶がある)。
そして、渡辺和博の退社は翌1980年である(みうらじゅんのデビューが同80年で。彼のデビューを見届けてから辞めたのかな)。


それなのに唐沢の文章では。

結果、渡辺氏は、南実質編集長時代の、サブカルチャー誌としてのガロの性格をどんどんと発展させていき、ますますガロの尖端性を高めたが、尖端性とは語を変えて言えば一般人排除ということであり、事実、ガロの部数はどんどん減っていって、最終的に経営が成り立たないところまで行き着かせてしまったのであった。

と、一年しか編集長をしていない渡辺和博に、妙な責任を負わせてしまっている。


「ますますガロの尖端性を高めた」のは、続く手塚能理子(実質編集長)時代のお話だと思うけどねえ。