嵐山光三郎「昭和出版残侠伝」(筑摩書房 asin:4480814817)

図書館本、読了。平凡社の経営危機にあたって、1981年、『太陽』の編集長だった嵐山光三郎平凡社をやめて、『太陽』の編集者一同と青人社を設立し、雑誌『ドリブ』を創設するという、編集者銘銘伝。


あんまり意識していなかったのだけれど、嵐山光三郎が「笑っていいとも増刊号」に出演していたのは、「ドリブ」の宣伝活動だったんだな。
嵐山と交流があった、「アングラ・面白系」の文化人たちのほかに、二代目編集長・筒井ガンコ堂、三代目編集長・渡辺直樹、四代目編集長・清野明らが登場。


ちなみに、WIKIPEDIAの「ドリブ」では、「渡辺が『SPA!』に移ると徐々に部数が伸び悩み」とあったが、実際は四代目編集長の清野明時代のほうが、部数は出ていたそうだ。


ところで、検索でみつけたのが、この本の感想を書いている、このブログの記述。
http://blog.livedoor.jp/kkatase6591/archives/51218842.html


平凡社(現・マガジンハウス社)」
「1970年代後半になると集英社などの後発雑誌(『週刊プレーボーイ』『non-no』ほか)に押され、平凡社は経営危機に陥る。」
等の記述がある。


うーん、マガジンハウスの前身は「平凡出版」だし、マガジンハウスは経営危機になんかなったことはない。このブログを書かれているのは大学の先生らしいのだが、そんな人が大学で教えていて大丈夫? 平凡社の本は今でもどんどん出ているのに、それに気がついていないのかな。


だいたい嵐山のこの本の中自身に、「マガジンハウスの小黒一三から取材されたり」「ブルータス編集部に入りたくて、木滑良久に相談にいく」場面とかが書かれているというのに・・。何故、勘違いに気がつかなかったのだろう。