■2003/08/29 (金) 初期人類は○○を食べていた

中公新書の新刊、島泰三「親指はなぜ太いのか」を読了。
この本の中の、我々のご先祖さまの姿といったら・・。あまりにも、カッコわるすぎて、痛快だ。

著者はもともと、珍猿・アイアイ研究の第一人者で、(→http://www.ayeaye-fund.jp/topPage.htm)、アイアイの生態研究をしているうちに、人類の起源までハナシが広がってしまったというのが不思議ななりゆき。

中公新書は著者が研究者的変人度高いことには定評ありますが(中島義道の最初の一般書「ウイーン愛憎」も中公新書から)、この島先生のなかなかの味。

■2003/08/10 (日) アメリ

ビデオでジャン=ピエール・ジュネ監督の「アメリ」を、今更ながら見た。いやー、面白いね。

究極の「個人映画」が、なぜか「国民映画」になるケースがあり、たとえば、テイム・バートンの「バットマン」、宮崎駿千と千尋の神かくし」などがそれなのだが・・。「アメリ」もおんなじようなケース。

作家のオブゼッションの激しさを覆い隠すほど、作品のテーマがその国の人々が求めているものにピタリとはまった時、この種の「国民映画」が生まれるのだろう。

その「人々が求めるもの」がアメリカではヒーローの自己探求、フランスでは恋愛、そして日本ではジャパネスクな慰労の場、というのがお国ぶり。

ところで、まだ読み進め中のスタージョン「海を失った男」にも登場する、タフィー・プラーという遊園地の飴つくり機械(こういうヤツ→http://www.shawnrossiter.com/andrewsmith/commissioned/taffypuller.html)が、「アメリ」のエンデイングの重要な場面で出てきて、ちょっとびっくり。
人は、同じようなものに目をつけるもの。

アメリ」は、スタージョン的なような、エセ・スタージョン的のような、微妙な出来の映画なのだが。(この監督の作はいつもそう・・)

■2003/08/02 (土) スタージョン

晶文社から出た、ガロ系SF作家スタージョンの「海を失った男」、これが最高。
理屈まみれの安部慎一、って感じの作風なんですな・・。