浅羽通明「アナーキズム」(ちくま新書 ISBN:4480061746)

読了。

ところで、澁澤龍彦だの宮澤賢治だの宮本顕治だの江戸川乱歩だの、歴史上の人物を「おたくの先駆者」として位置付けするのが、著者の得意技だが、この本でその対象となっているのは、埴谷雄高

少年はニヒルなちゃんばら映画と「新青年」の探偵小説、ドストエフスキーから世紀末までの陰鬱なロシア文学にはまっていた。
後、共産党員としての農民運動を任務とするも、宣伝のため農村に赴いたりはせず、雑誌編集と理論研究に没頭する日々だった。
そんな日々も、カントを原書で読みふけった入獄時も、出獄後、ピアノ教師の姉の収入を得つつ、ラテン語学習と悪魔学に没入した無職業時代も、戦前戦後、幾度かの結核療養も、両親の残した小資産で食いつなぎつつ、伝説の哲学小説『死霊』や、諸論文を書きつづけた戦後も、埴谷は、おたくでひきこもりで、パラサイトでありつづけた。

埴谷は左翼青年時代に結婚。パラサイトではあってもシングルではなかった。だが、「あなたが寛大になれないあやまちは」とアンケートされても「子供を生むこと」と彼は答えている。実際、彼は幾度も夫人に中絶を強制し、ついには子宮切除する結果となった。これを埴谷は、まさにスターリン的暴君の所業だと自重し、上野千鶴子は旧態然とした家父長制そのものと批判した。だが、これもそんな偉そうな代物ではなく、むしろ、倉田真由美がマンガ『だめんず・うぉーかー』で描く、幼児的でわがままで、家父長になど決してなりたくないダメ男のはしりといいったほうがより近い。