「自意識過剰青年」としての福田定一

http://d.hatena.ne.jp/yasulog/20050424#p1
司馬遼太郎が考えたこと」1、2巻の、福田定一青年の肉声から感じられるのは、現在のブログ筆者たちにも通じる、自分の表現行為を少しばかり過剰に演出した、普遍的な「自意識過剰青年」ぶりだ。
司馬遼先生の場合、その「自意識」の表現が、「歴史上の人物」を通じて現れたのが特異だったのだと思う。