田原総一朗は「あらかじめ失われた恋人たちよ」の「実際の監督」ではなかった! 面白すぎる助監督(実質監督)へのインタビュー

「傑作」といわれている、この映画、田原総一郎清水邦夫との共同監督となっているが・・。


原一男は、1992年の「NHKやらせ事件」がおきた時、それに関連して、1993年に田原総一朗にインタビューして。ついでに、田原の唯一の劇映画、「あらかじめ失われた恋人たちよ」について、田原と桃井かおりとの3人で話をしたのだが、あまり盛り上がることが、なかった。
http://docudocu.jp/cinema.php?category=tawara&no=7
桃井は「あのね、田原監督が傷ついていたのはすごくもうわかっていたわけ。あたしの今の思い出す限りでは、何だか毎日夜じゅう話し合いが行われるわけよ。よくわかんないのよ、内容は。」というので。


原が「どう撮るかとか? シーンの持っている意味とか? 役者さんが監督に?」と聞くと・・。
桃井は「それで私は聞くことがないので、まぁ「参加していろ」っていうからいるわけですよね。そうすると石橋蓮司さんとか加納典明さんがいて、それで女は緑魔子さんぐらいしかいなかったので。そうすると魔子さんはパンツはいてないネグリジェのまんま足広げて「だからさぁ」ってやってるわけだから、何だかわかんないわけですよね私も。そいで何かしゃべると「おまえ、実存かけてやってんのか」って言われた途端ね。」


それで原が田原にたずねる。「ちょっと待って下さい。毎回そんなふうに現場をやっていたわけですか。それは田原さんのねらいなんですか、監督としての。」


すると田原は、「半分はねらいだった。半分ねらいだけどもね、じつは僕はもっと現場でいけると思ってた。ところがだんだん気弱になってきて、つまりさっきちょっとお話したんですけれども、清水邦夫は劇的な世界を作る、で僕はそれをドキュメンタリーの方法論でぶち壊していく、ぶつかりあう中で今までなかったような映画が作れるんじゃないかと、そんな夢みたいなことを思ってたんですがね。だけど、ぶち壊して何なのかっていうのがわかんない。」と、要領を得ない返事。


それで、原一男は、この映画のチーフ助監督だった尾中洋一へインタビューする。すると・・。
http://docudocu.jp/cinema.php?category=tawara&no=11
劇映画が初体験の田原は、「アップ撮り」「カット割り」「右目線、左目線」も分からなかった。「よーいスタート」も田原がかけないので、尾中が担当した。


そして、そのまま、田原を無視して「2日目から実質、尾中が監督」で撮影を続けたら、ある夜、遠くに田原が行き、「ばかにするな−」と叫んだ。だが、撮影資金も乏しく、短期間で製作する必要があったため、そのまま田原を無視して撮影は続いた。


また「羽昨の駅前で、売春婦と出会って抗議集会」というシーンがあるが、警察の撮影許可も取らず、出演しているのは大半は単なる通行人。これは「田原的ドキュメンタリー手法も少しは取り入れないと」と、尾中が気を遣ったという。
なお、プロの役者である石橋蓮司緑魔子は、「無能な監督・田原」に怒っていたという。それで、桃井が言う「毎晩の議論」が行われていたわけだ・・。笑っちゃうね。映画初出演の素人の桃井も、全然、何を議論しているのか、わかっていなかったようだ。


なお、「共同監督」のはずの清水邦夫は、東京での舞台でのリハーサルの演技指導をしただけで、ほとんど現場にこなかったという。


つまり、この映画は、「尾中陽一監督」作品なのだ。だが、ATG映画は監督が金を出して製作する方式なので、いくら無能で役にたたまい存在であっても、田原と清水はスポンサー。だから、原一男が1993年にインタビューするまでこの「事実」は22年間、隠されていたという・・。


しかし、この映画についてのエピソード、面白すぎ。根本敬が書くような、間抜けなエピソード満載の、不条理な因果ワールドだ。このインタビューは、本にして欲しいなあ。
この尾中洋一という人は、大学時代、大和屋竺と親友で、「この映画をテコにして、自分も監督になってやる」と思っていたそうだが、結局、「必殺シリーズ」などの脚本家で終わったようだ。