武藤康史「文学鶴亀」(国書刊行会 ISBN:4336049912)

図書館本、読了。以前も書いたように、樽本周馬編集ワーク。武藤は師匠から「学者というものは、学術的な本を出すのが本業で、エッセイ集など、死後か、老年になってから出すものだ」といわれていたそうだが、樽本氏の熱心な依頼で、この本が出たわけだ。


昨日、「杉浦日向子のことを書いた」から、というワケではないが・・。杉浦日向子が「現在の人でありながら、『江戸に住んでいる』」人だったように、この人は、「『旧字・旧かな』の文学の世界に、住んでいる人」だ。


何せ、高校2年のころから、自分で書く文章は「旧字・旧かな」で書いているそう。(夏休みに「谷崎潤一郎全集」を読んだら「乗り移られた」そう。この本の前書き、後書きも「旧かな」で書かれている。雑誌に発表する文章なども、以前は、一回「旧字・旧かな」で書いてから、「新字・新かな」に直していたそうだ。)


そして、成瀬の映画を見たり、昔の劇作家の芝居を見たりしても、気になるのは「現在では使われない、耳慣れない言葉」で、それを戦前の辞書で見て、確認するのが楽しみだという。
テレビは嫌いで見ない。ラジオは、放送大学を聞いたり、「古い文学作品の朗読」を聞くのに使っている。


という「世間からずれまくった、渋すぎる趣味」なのだが、それを「私のようなヌルイ読者」にまで楽しませるのが、武藤のポップな文章芸のゆえなのだ(同じように、古い文学を紹介している、「坪内祐三」にイマイチ私が乗り切れないのは、文章があんまり面白くないからなのだ)。
その「古くさく思えるモノ」を面白く紹介する芸が、杉浦日向子と共通しているように思える。


あと驚いたのは、武藤は1974年に、都立国立高校に入学しているのだが・・。1967年から悪名高き「学校群制度」が導入されているにも係わらず・・、国立高校の先生たちの教養レベルが高いこと、高いこと。
教師と大学院生などのOBとで「源氏物語の読書会」が開かれている(武藤は1年生の時から参加)必修クラブに「ギリシャ悲劇」(「必修」というのが驚き!)というのがあり、なぜか数学の教師がギリシャ悲劇に詳しく、彼の講義を武藤は聞いた。また、漢文の教師は放課後に「史記の読書会」を行っており、これにも武藤は参加。
ちなみに、修学旅行の後には作文提出をする必要があったが、武藤は、『即興詩人』のような「文語文・旧かなづかい」の作文を書いたという。


なお、武藤は、大学時代に映画・文学批評の同人誌「キップル」を、畑中佳樹斎藤英治と発行していたのだが・・。(そういえば、一時期、この3人の区別がつかないことがあったなあ。特に、畑中、斎藤はつるんで仕事するコトが多かったので、どっちがどっちか、よく分からなかった。二人とも茨城出身だが、高校時代からの友達かなあ。私は「畑中のほうがSF好き」ということで、かろうじて区別していた・・。)


この「キップル(kipple)」というのは、フィリップ・K・ディックが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の中で作った造語で、「ダイレクト・メールとか、からっぽのマッチ箱とか、ガムの包み紙とか、きのうの新聞とか、そういう役に立たないもの」のことらしい。
これは多分、ディック・ファンの畑中が提案した名前だろう。


ちなみに、はてなキーワード武藤康史には・・。

「電車の中では本を読まない」「テレビを見ない」「大学を卒業するまで映画を見たことがなかった」というひとであるらしい。

と書かれてあった。