寒い 今日も「透明な存在」 帰りは厚い

昨夜は24時就寝。
今朝は7時起床。少し寝坊したが、急いで準備したら、十分間にあった。電車も普段より1電車速かったくらい。急げばいいんだよね、いつも。


冷たい雨。足は「痛い」というより「疲れて重い」。月曜日の「自転車通勤」がずっと、効いているのか?


今日も相変わらず「新しい部署」を知らされず。「透明な存在」でいることに、いい加減ウンザリ。


17時半退社。外に出ると、今日はよく晴れて気温があがったようで、朝の寒さからは想像できない暖かさ。
朝は着ていてダウンジャケットを脱いで、手に持つ。


タクシーで田町駅前に行き、三田図書館まで行って、返却&借り出し。「昨日が返却期限」だった本のネットからの「延長」を忘れていて、「延滞本がたくさんありますよ」と注意されてしまった。ショック!
CD6枚、「シャンソン歴史物語 フランスのデイープ・ソング(選曲・解説:蒲田耕二田中勝則)」(ライス・レコード ASIN: B000LZ564O)、カルメン・マキ「ゴールデン・ベスト セブンティーズ・ロック」(ASIN:B0000QX196)、「レディメイド・ディグス・エラ!」(ASIN:B000PDZO0S)、「レディメイド・ディグス・エルヴィス!」(ASIN:B000M5KB5C)、「20世紀BEST J-POP&ロックヒストリー Vol.1」(ASIN:B00003IQRR)、「bossa nova 1991 shibuya scene retrospective」(ASIN:B000SNUP4A)を借りる。


帰宅すると、妻は「自助グループ」にでかけていて、留守。10分ほど待つと、帰宅したので、私がコンビにで買った「おでん」で夕食。
あわせて読みたい

歌舞伎町で「デビュー前のタモリの密室芸を見る」グループは2分されていた!

色んな人の回想を読むと、とにかくタモリが芸を見せて、みんなで酒場でどんちゃん騒ぎをしていた・・、となるが。
高平哲郎の著書「銀座の学校」を読んで、それからネットで調べてみると、実際は「タモリの密室芸を見ていた」人々は二分されていたことがわかる。


1つは、スナック「ジャックの豆の木」の常連の客たちで、タモリの発見者である、山下洋輔トリオをを初め、筒井康隆奥成達平岡正明黒鉄ヒロシ高信太郎長谷邦夫長谷川法世南伸坊ら。


もう1つは、のちに「面白グループ」と赤塚不二夫命名した人々で、赤塚をはじめ、高平哲郎滝大作坂田明内藤陳小松政夫団しん也たこ八郎三上寛研ナオコ柄本明所ジョージアルフィー東京ヴォードヴィルショーの人々、由利徹などで、新宿二丁目の「ひとみ寿司」からスナック「アイララ」をハシゴしていた。


この2つのグループができたのは、赤塚不二夫が、「ジャックの豆の木」を、当時彼のブレインだった「長谷邦夫のシマだから」と、避けたことによる。(この頃から、二人の間に葛藤があって、「遊びの場」でまで会いたくなかったんだろうねえ)
ちなみに、高平哲郎は、両方に出入りしていたそう。


また、前者が「文学+漫画+ジャズ」グループ、後者が「芸能人」グループであったともいえる。

元「SFアドベンチャー」の名物編集者、関さん、今どうしてるかと思っていたら、ゲームの人になってんだ!

「エンターテインメント・ソムリエ関智の「見てやる!聞いてやる!言ってやる!」 Vol.2 [らすた!ラスタ!rasta!] MSNオークション」
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マルチ・プロデューサー
1957年東京都生まれ。
日大芸術学部映画学科卒。徳間書店でSF専門誌「SFアドベンチャー」編集部に在籍。その後プレイステーションで原案、シナリオ、プロデュースを手がけたゲームソフト「とんでもクライシス!」をリリース。2000年株式会社関猿を設立。02年「ストリートゴルファー」をプロデュース。現在、ゲーム、雑誌、書籍、携帯コンテンツなど多方面で活動中。

銀英伝のゲームなんかも、出してたみたい。


と思って検索したら、大森さんも昔の日記で、もう言及がされていた。
http://www.ltokyo.com/ohmori/991231.html

ついに関智も武道館の舞台に立ったのかっ。なんかゲーム・プロデューサーとしてSUNSOFTで市街戦ゴルフゲームつくってるんだそうです。とんでもクライシスにつづく関バカゲー第二弾。会社名が「関猿」(笑)。真価を発揮する場所をようやく見つけたのか


ちなみに、「大森さんのHP」、今月から、会社のPCではガードがかかって見えなくなりました。業務中に見る人が多かったんだろうなあ。