色んな人の回想を読むと、とにかくタモリが芸を見せて、みんなで酒場でどんちゃん騒ぎをしていた・・、となるが。
高平哲郎の著書「銀座の学校」を読んで、それからネットで調べてみると、実際は「タモリの密室芸を見ていた」人々は二分されていたことがわかる。
1つは、スナック「ジャックの豆の木」の常連の客たちで、タモリの発見者である、山下洋輔トリオをを初め、筒井康隆、奥成達、平岡正明、黒鉄ヒロシ、高信太郎、長谷邦夫、長谷川法世、南伸坊ら。
もう1つは、のちに「面白グループ」と赤塚不二夫が命名した人々で、赤塚をはじめ、高平哲郎、滝大作、坂田明、内藤陳、小松政夫、団しん也、たこ八郎、三上寛、研ナオコ、柄本明、所ジョージ、アルフィー、東京ヴォードヴィルショーの人々、由利徹などで、新宿二丁目の「ひとみ寿司」からスナック「アイララ」をハシゴしていた。
この2つのグループができたのは、赤塚不二夫が、「ジャックの豆の木」を、当時彼のブレインだった「長谷邦夫のシマだから」と、避けたことによる。(この頃から、二人の間に葛藤があって、「遊びの場」でまで会いたくなかったんだろうねえ)
ちなみに、高平哲郎は、両方に出入りしていたそう。
また、前者が「文学+漫画+ジャズ」グループ、後者が「芸能人」グループであったともいえる。