四手井綱英「森林はモリやハヤシではない」(ナカニシヤ出版 ISBN:4779500710)

図書館本、読了。
現在は大分元気になられたようだが、95歳の高齢で死の一歩手前まで行かれた綱英先生の、おそらく「遺著」。
「森林生態学」「山の思い出」「自然保護」「里山」「林野行政」と、先生の人生を象徴する、5つの項目に分かれている。
奥様の四手井淑子さんがまとめられたようで、巻末エッセイはいつもの淑子節。(逆に先生から淑子さんへのメッセージも聞きたかったが・・、望蜀のたぐいか)


以下、気になった項目。

  • 題名の「森林はモリやハヤシではない」は、中国語で「森」は「深い」という意味である。そのため、「森林」は深い林という意味である、ということ。
  • では、日本語の「モリ」とは何か、これは、山の頂上まで木で覆われたもののことを言う。
  • 「砂漠に造林する」と称して「砂丘の造林技術を応用する」と言っている人がいるが、無駄である。砂漠は降雨が少ないから砂漠なのであって、オアシスのように、水をひっぱってくるしかない。
  • 戦後の「人工林・大量植樹」は、国を狂わせた。「自然更新」が結局、一番よい。
  • 「動物は、植物の光合成でできる酸素で生きている」とみんな言っているが間違いである。森林も生物である限り、夜間は呼吸をして酸素を吸って二酸化炭素を放出しているいるし、動物のための酸素を提供するほどの力はない。
    • これはちょっと、納得できなかったので、「はてな質問」をしてみました。

http://q.hatena.ne.jp/1160037644

太古の昔。地球上には酸素はほとんどなく、酸素呼吸生物はいなかった。しかし、当時の生物には「猛毒」である、酸素を排出し、他の生物種(99%以上)を絶滅させる生物が生まれたらしい。
暖かい海洋に今も生存する「ストロマトライト」という藻の一種は、大量の酸素を放出している。(酸素の泡粒が見える)このような生物が大半の酸素を今も作っているのではないでしょうか。

人類を含めた地球の動物が呼吸して消費している酸素は、その食物が光合成された時の酸素と同量です。(肉食動物も結局は、草食動物を通じて植物が合成したものを栄養としています)で恐らく、この使いまわしている量は、現在の空気中の酸素の量からすると極く少量だと思います。
現在の空気中に20%も存在する酸素は、現存する森林が生み出したものではなく、化石燃料を残した、太古の森林や植物プランクトン等が残したものと考えて良いでしょう。

  • 里山」は綱英先生が一般化した用語であるが、江戸時代の木曾地方で、既にそういう呼び名があったが、その後、すたれた。
  • 綱英先生が書いた「松林」についての文章を、故・司馬遼太郎がえらく気に入り、何度も文章に引用するたびに、「許可」を求める手紙を書いてきた。「この国のかたち」には2回も引用されており、そのつど「許可」の手紙が来た。