フリークスとしての芸人たち 坊野寿山「粗忽長屋―文楽、志ん生、円生の素顔」(創拓社 ISBN:4871380424 1984年)

図書館本、読了。著者は川柳家で、文楽志ん生、円生ら落語家たちを集めて「鹿連会」という川柳の勉強会を長年やっていた人。


この人は、弟子たちよりも長生きして、84年にこの「回顧談」を書いたのだが・・。
彼等の「先生」でもあるし、みんな亡くなっているしで、描写に遠慮がない。「名人」として神格化されている人々の「人間的な弱点」や、「芸人ゆえのゆがみ」を赤裸々に書いていて、こんなに「名人たちに対するリスペクトがない」本も珍しい。しかし、その姿勢が、彼等の「生々しい存在」を描写していて面白かった。


特に面白かったのだが、このエピソード。
円生が書籍「円生全集」を刊行したのだが、世話になっている寿山などにも「それを金を払わせて買わせる」。ある日、円生が慌て気味に訪ねてきて、「先生、代金を払いましたか?」と聞いた。
その理由は・・。円生はこの書籍の販売を若い女にまかせていたのだが、つい手を出してしまい、その女に「腹いせ」のためか「売上げ金を持ち逃げ」されてしまった。それであせっていたのだった。


この件を寿山が文楽志ん生らに話すと、「いかにも彼らしい失敗ですな〜」と彼らは喜んだのだが。その後も何度も寿山の家にやってきて、「先生、あの話をしてください」と催促し、同じ話を何回も聞いて喜んだという。うーん、やっぱりこの時代の「芸人」という人たちは、特殊な人たちだなあ。


こういう「芸人ゆえのフリークな言動」に閉口する描写が、本書にはたらふく、出てくる。それが面白い。


こういうのもある。寿山が小唄を習っていて、その「発表会」があり、舞台に出てみると、なんと客席に文楽や円生がいた。それだけではなく、文楽などは自分の小さな子どもを連れてきていて、「先生が歌うんだから、とにかく、拍手するんですよ」と大きな声で指示している。


寿山は動揺してしまい、うまくうたえなくて、あとで文楽に「君たちみたいな玄人が来られると、歌えないよ」と文句をいうと、「へえ、そうですか。子どもが拍手すると先生がお喜びと思ったんですが」と答えたという。

こういう話も面白い。川柳会の「題」の決定には苦心したという。なにしろ師匠連は「想像で川柳を作ることができない」そうだ。「引出茶屋や大店など、金のかかるところでは遊んだことがないから、そんな題では作句できない。自分の経験のうちでしか、作句できない」という。落語では、色々な舞台を題材にして噺をしているというのに・・。


それで「蝙蝠(こうもり)」という題材を出した。というのは、蝙蝠は花柳界に縁があって、「夜に出てくるものだから、客が多いと『待合』は喜ぶ」、だが「芸者屋では、腹の出た姿から、『子を孕む』として、芸者屋では嫌がられた」という。
そういうモチーフの川柳を作ってくれればと寿山が出題したら、一向に句が出てこない。文楽志ん生は、「蝙蝠といわれましたから、動物園に行って見てきました」と答えたという。