太平洋戦争中の「悲劇のハワイ日系人を描いた大演劇」を見て、笑う観客たち!

KAWADE道の手帖安藤鶴夫」に収録されている、戦中の1943年に安藤が書いたエッセイで、以下のようなくだりがあった。

太平洋戦争を背景にハワイの在留日本人に取材したある脚本を、有名なる映画俳優が大劇場で演じたことがある。
映画出演の傍ら新しい国民劇を目指すという大志を掲げて、劇団を結成したその旗揚公演である。
皇紀2600年の天長節の当日、米政府は領事館の遥拝式と一世の日本人にだけ万歳の発声を許し、二世三世には禁止したのを痛憤して、我々の同胞は天長節の歌を歌う一節がある。
有名なる映画俳優は勿論第二世の主役に扮して真剣な熱演をしているのだが、驚くべきことには、この時時観客席から笑声が起こったではないか。
続いて「声なき」万歳の三唱の唱和にもまた観客席は笑ったのである。
そしてもう一人の登場者たる僧侶が、この米政府の処置に対する憤りから、天照大神宮と叫んで合掌する一節では、三度び観客席から笑い声が起った。

戦中ということもあり、アンツル先生は以降の文章、非常に怒っているのだが、これは確かに面白いシーンの連発である。
上映したのは「丸の内の大劇場」ということだから、この観客は古川緑波をいつも見ている観客ではないだろうか。戦中はロッパ一座の黄金時代でもあったのである。