”神様と”時間様” 深町真理子

 昨年、ある団体に加わってヨーロッパに遊んだときのことであろ。なにしろ、一面識もない同士だから、食事の席などでは必ずおたがいの職業、境遇の詮索が始まる。
「翻訳をやっています」
「ほう、どういう?」
「ミステリとかSFとか」
 わかったふうなわからないような顔。
 いちいち。面倒だし、だいいちそのほうが有難そうに聞こえるから、こっちも敢えて説明しない。しぜん会話はそれ以上には発展しない。ひとりだけ例外がいた。
 「SFというと、タコの化けものみたいな火星人か襲来してくるという・・・・・・?」
 いや、笑えない、笑えない。七年前に翻訳を姶めたときの私のSFにたいする認識が、まさにこの程度のものだった。爾来、幾星霜、だんだんわかってきた。なにが? 翻訳するのにやさしいSFとむずかしいSFがあるということが、である。由来、SFの翻訳はむずかしいと言われる。いや、実際にむずかしい。ではなにをもってむずかしいというか。科学用語や専門語か頻出して、正しい訳語に苦労するということもあるだろう。概念としてはわかっていても日本語になりにくかったり、著者が新語を繰りだすので、こっちも新語をもって対抗せねばならぬということもあるだろう。あるいはまた、発想、思惟方法にSFらしい飛躍があって、日常性に埋没した観念作用ではついてゆけぬということもあるだろう。このほかに、あまりにばかばかしくて、翻訳していてしんが疲れるというのもあるが、これはまあ論外としておく。一般にSFの翻訳をむずかしいと言うとき、この第一の場合、せいぜい第二の場合までを指して言うことが多いようである。しかしなんといっても、”タコの化けもの”的感覚から出発した私にとって、いちばんむずかしいのは第三の場合である。これにくらべれぱ、第一、第二の場合は、むずかしいというよりむしろややこしい、面倒くさいというべきで、それにこれはSFのみならず、どんなジャンルの翻訳にもあてはまることである。
 アーサー・C・クラークは私の好きな作家である。理由は簡単、やさしいからだ。クラークの長篇で、私の手がけたのは『渇きの海』一本きりだけれども、あのなかに出てくる人間はみなあまりにも人間的、かなしいまでに人間のさがをむきだしにしていて、そっくりそのままハりウッド製映画にでもなりそうだった。『宇宙のオデッセイ2001』は例外だけれども、クラークの作品にはおおむねこの傾向があって、日常性にどっぷりつかりこんでいる私などでも、けっこうついてゆける所以である。
 ところで以上はあくまで翻訳家としての発言であって、読者としては、もっと人間ばなれのした、”あっと驚く”ような視点から書かれたもの、人間人間していない人間の出てくる作品を読んでみたい気がする。といっても、なにも『わが輩は怪物−−もしくは異星人−−である』を書けというのではない。いくら書いたって、それが現実の人間世界の反映であれば、在来の作品となんら変わらない。
 そうではなくて、現行のものの見方をまったく排した、なにか清新な眼の感じられるものはないだろうか。
 アシモフの『永遠の終り』は、時間管理機関<永遠>が舞台である。これが翻訳していて、文中いきり、"Time"という言葉がとびだしてきたときにはぎょっとした。子供の”タンマ”じゃあるまいし、そこで”タイム”をかけられるいわれはなにもないのである。ところがその先で、今度は "Father Time!" というのが出てきて、ようやくこれが "God damn you!" や "Jesus Christ!" (どうも女だてらに汚い言葉ばかりで申し訳ないが)の同類らしいと納得がいった。つまりこの作品の世界では、”神様、仏様”に代わって、”時間様”が幅を利かせているのである。
 これはいくらか私の考えているものに近い。けれどもこれは、たんに単語ひとつだけの問題にすぎず、到底それが作品全体にまで及ぶところまで行かないのは、主人公ハーランの行動ひとつをとってみてもわかる。 
 これも私の手がけた作品に、カートミルの『連環』というのがあった。『時間と空間の冒険1』におさめられている。原題は "The Link" で、いわゆる”失われた環”の環にあたる存在、ロクが主人公である。
 ロクにとって、鰐は”長鼻”であり、鹿は”斑点のある跳躍者”である。ことばを持たないロクにとって、これは当然だろう。ここまではいい。しかし、それを言うなら、”鼻”とか”斑点”とかいうことぱも同様にないはずであり、”長い”、”跳躍するもの”等の観念も、こういうことぱとしては存在しないはずである。とすると、どういうことになるのか。そもそもロクという名はだれがつけたのか。わからない。いくら考えてら頭が混乱するばかりだ。結局この作品全体を否定するよりほかなくなってしまう。
 ロクの眼で、ロクの言葉で、ロクの世界を描いた物語、それはないものねだりだろうか。
 で、もしあったら、おまえさん翻訳するかって? お断わりだ、楽しく読ませていただくだけで結構である。