ぼくとSF 河野典生

 ぼくの行きつけの、さる酒場に、大変なSFファンの女性がいて、早川、創元のSFシリーズはいうに及ばず、SFマガジンも数年来とり続けているという。この世界SF全集も本屋からとどけさせることにしたのだが、留守中、お母さんが代金を代りに支払った際、「こんな高い本をどうして買ったりするの」と詰問され、「わたしは、これだけが楽しみなんだから」と答えたそうである。傍点の部分を、彼女は声色で強調してぼくに伝えた。ばくの顔をみるたび、彼女は「SF作家の某氏と某々氏、何某氏を連れて来てくれれば、給料から引いてもらうつもりで、いくらでも飲んでもらうわ」とまでいうのである。しかし、彼女はあまりに美しい女性だし、母上を養うのも大変だろうし、嫉妬と同情のしがらみで、まだ某氏以下には声をかけないでいる。
 ぽくは、だいたい女子供には、本当のところSFのえもいわれぬ魅惑はわからないのではないかと、ひそかに思っている一人なので、彼女のようなひとに出会うと、全く面くらってしまうというものだ。いろいろ話してみると、彼女はだいたいサイエンス色の強いものが好きなようで、そう云えば、高校生などの読者もどうやらそのようであるなと思ったりする。つまりは、それがどんな種類であれ、小説のファンかたぎというものは、一種の信仰のようなものなのだから、いわぱ、彼女や彼らは科学を信仰しているのであろう。そして、心の平和を得ているのであろう。
 ところで、ほく自身のことを云えば、コンディションの関係もあるが、時々、脳細胞のどこかに、ぽかっと空隙のできる性質らしい。つい先日も、びっしりと手の入った雑誌切り抜きに生原稿を含めた単行本の原稿を、徹夜あけに小田急線に乗っていて、「忘れたら大変だぞ」と思いながら、立ったまま目の前の網棚に置き、案の定、終点の新宿で、置き忘れてしまった。そして、その日あったTV録画を、何を口走ったか分らぬまま過すという、大失態をやってしまったのである。幸い、翌日、江ノ島から回送されてきたそれを、遺失物係りで発見したからよかったものの、もしなかったら、ぼくは首を吊ったかも知れないのだ。
 そのほか、同じ電車の例では、まっぴるま中央線をお茶の水まで所用で乗っていて、ふっと気がつくと、千駄ヶ谷のホームに立っていたこともある。ぼくは座席にすわっていたし、乗降客も少ない時間だったし、千駄ヶ谷はめったに降りることのない駅なので、今だに理由が全くわからない。
 また、ぼくには、数時間、顔を突き合わせて話していた人間の顔を、まるっきり忘れてしまうヘキもあり、そういう相手は何度出会っても、そのたぴに、しどろもどろになってしまう。実名をあげて恐縮だが眉村卓氏などもその一人で、先日も五十センチ前方の彼を、どこへ行ったのかと探しまわって、人びとをあきれさせてしまった。それは、どうやら、ある種の型の顔に限られているようだが、それがなぜなのかは、どうしてもわからないのである。
 そういう性質のせいか、愛読するSFも、ファンタスティックな、非論理的なものが、ぼくの周波には合うようである。これは、カフカ安部公房氏が好きであった、中学高校時代から、ほぼ一貫していで、現在でもマルセル・エイメの「壁抜け男」や「サビーヌたち」。そのほか、ブラッドベリのいくつかなどを読むと、ごぎげんなのである。
 また、これは正確にはSFとはいえないが、昭和二十一年九月刊、仙花紙に刷られた、シュベルヴィエル、堀口大学訳の散文詩集「ノアの方舟」は、黄ばみ手あかにまみれて、アンリ・ミショオ詩集などと共に、本棚のいちばんいい場所に収っている。考えてみれぱ、ぼくが十一歳の時に買った本なのだ。
 しかし、ぼくは、いわゆる怪奇小説というものは、はっきりと、きらいである。おどろおどろしく。怪であるぞ、奇であるぞと、無理やりねじこんで来られると、ぼくは、この作者は何と不作法なのだろうと、思ってしまうのである。
 そして、これもSFには入らないかも知れないが、最近の訳書では、J・D・サリンジャーの九つの短篇中、「バナナフィッシュに最良の日」に最も心ひかれた。
 ぼくは、いわぱわかる小説は好きではないのであって、フィーリングのある小説が好きなのである。