アメリ
ビデオでジャン=ピエール・ジュネ監督の「アメリ」を、今更ながら見た。いやー、面白いね。
究極の「個人映画」が、なぜか「国民映画」になるケースがあり、たとえば、テイム・バートンの「バットマン」、宮崎駿「千と千尋の神かくし」などがそれなのだが・・。「アメリ」もおんなじようなケース。
作家のオブゼッションの激しさを覆い隠すほど、作品のテーマがその国の人々が求めているものにピタリとはまった時、この種の「国民映画」が生まれるのだろう。
その「人々が求めるもの」がアメリカではヒーローの自己探求、フランスでは恋愛、そして日本ではジャパネスクな慰労の場、というのがお国ぶり。
ところで、まだ読み進め中のスタージョン「海を失った男」にも登場する、タフィー・プラーという遊園地の飴つくり機械(こういうヤツ→http://www.shawnrossiter.com/andrewsmith/commissioned/taffypuller.html)が、「アメリ」のエンデイングの重要な場面で出てきて、ちょっとびっくり。
人は、同じようなものに目をつけるもの。
「アメリ」は、スタージョン的なような、エセ・スタージョン的のような、微妙な出来の映画なのだが。(この監督の作はいつもそう・・)