縁なきお人だった  戸板康二「回想の戦中戦後」(青蛙房)

図書館本。戦中から戦後にかけての、交友・仕事関係を中心とした、回顧録
いい本だと思うが、私が読む必要のないホンであった。暗澹とした思いで読了。


戸板康二という人、中学生のころに「ちょっといい話」をわけもわからず読んだ時から、ずっと違和感をもっていたのだが、この「自叙伝」読んで、その違和感の正体がわかった。
とにかく、酒が好きで話し好き、先輩や先生にはかわいがられするし、仲のいい同輩・知人は多い。後輩の面倒見もいい。「社交の神様」みたいな人なのである。
たとえば淀川さんが「私が嫌いな人とあったことがない」などといいながら、実際は人の好き嫌いすごく激しかったりするのがうれしいのだが、戸板康二はホントに「嫌いな人がいない」タイプ。そこがどうにも当方は気持ち悪い。


なにせ、折口信夫久保田万太郎が師匠で、きちんと弟子として仕えており、その分、師匠の世話にもなっている。私が作家に求めるものって、「日本的世間」とか「日常常識」への呪詛的なものなのだが、この人には「世間」や「常識」に対する反発心や屈託といったものが、がかけらも感じられない。(そういうものをうまく隠していた「大人」だったのかも知れないが・・)
また、慶応の学生の頃、ほとんど面識のない、父親の知人が「自由に書庫に入って、古い本を読んでいいですよ」と、書庫を無料提供してくれたりしているし、実際、人に好かれる人だったんだろう。


でも、人嫌い・人間嫌いの「中島義道教徒」の私は、こういう人は嫌いだし、こういう人が書いた本は読みたくない。
この本の末尾で、佐藤春夫が、当時の文壇・劇団のボス・久保田万太郎のことを嫌いだった旨が述べられているが、戸板にはミニ万太郎という雰囲気(あそこまで偉ぶらない人だが、ポジション的にね・・)があり、私には、佐藤春夫の気持ちがよ〜くわかるのである。