100年前シリーズ「100年前の世界の王室」(マール社 asin:4837307213)

図書館本、読了。1905年発行の「太陽」別冊「世界の帝王」から抜粋した物。ちなみに、表紙はヴィクトリア女王とナポレオン3世の画像。でも、1905年時点では、女王は死亡、皇帝は廃帝になってるんだけれどね。
当時は、ノブレス・オブレージが生きていた時代、特に欧州の王・皇帝には「国民を愛し、各国語に通じ、慈善事業を施し、各種学問も習得し、生活も質素を好む」というような「立派な人物」が多い。


韓国は日清戦争直後、閔妃の子・高宗の時代である。ちなみに、閔妃の死の記述はあるが、当然「日本の謀略」だとかの記述はない。ちなみに、国号「朝鮮」だったのを、日清戦争後「大韓帝国」と改めている。高宗の子・純宗の時代に日韓併合が行われることにある。
清国は光緒帝の時代であるが、西太后のことが詳細にのべてある。光緒帝の甥が「ラスト・エンペラー」溥儀である。


英国はヴィクトリア女王の息子、エドワード7世。イギリス王は、あくまで王で、皇帝なのは「インド皇帝」としてなのであるが、この本ではそのあたりよくわかっていないようで、ゴチャゴチャに書いてある。
ドイツはヴィルヘルム2世の時代で、後に第一次大戦の敗戦を招く皇帝であるが、この本では「世界で最も声望のある人物」と書かれている。
バイエルンは、例の「狂王ルードヴィヒ」が自殺した直後で、その弟が王となっている。


ロシアは日露戦争敗戦直後のニコライ2世の時代である。「大領土に君臨する皇帝ニコライから100年後には、今のモンゴル帝国のように遺跡になっているかも知れない」と書かれているが、12年後のロシア革命でこの皇帝一家は処刑されることになる。
イタリア国王はヴィットーレ・エマニュエーレ3世。この王は第二次大戦の敗戦を見届け、王制は廃止されることになる。
オーストリアハンガリー皇帝はフランツ=ヨーゼフ。彼の甥の皇太子フランツ=フェルディナントの暗殺から、第一次世界大戦は始まり、オーストリア帝国は敗戦により崩壊する。


オランダはウィルヘルミナという女王であり、世界史の教科書に出てくる「オレンジ公ウィリアム」の家系。
デンマーク王はクリスティアン9世で、なんとこの王家では51代にあたる。しょっちゅう王家がかわるヨーロッパでは驚異的な代数だ。
ベルギーはレオポルド2世。「ベルギー領コンゴ」を、最初は「国王の私有植民地」とした、小国の割に野心の強かった王だ。
スペインはアルフォンソ13世。この国王は、前王が死んだ直後に生まれたため、「誕生と同時に王となった」人。
ポルトガルはカルロス1世。この王は匿名で闘牛に参加したそうだ。
スウェーデンノルウェーは、この時代は1つの国であり、王はオスカル2世。だが、この「太陽」別冊刊行の1905年にノルウェーは独立している。(ノルウェー王は、オスカル2世の息子)
ギリシャ王は、なぜかデンマーク王の次男が招かれて、王となっている。


ルーマニアは、プロイセンの王家の親戚が招致され、ルーマニア公となり後、ルーマニア王となっていた。
モンテネグロは公国だった。
セルビアは王国であった。
モナコ公国は、モナコ、コンダーヌ、モンテ・カルロの3市からなる。だが、以前はほかに2市あったのだが、19世紀前半の悪政で、2つの町はフランスにうつった。


以降は、アジア・アフリカの「半植民地国家」の帝王。
シャムでは王は神と信じられ、キリスト教の宣教師がGODの概念を伝える時、プラチョーという語でなんとか通じたが、これは王の意味だった。
トルコのスルタン、アブドゥル・ハミト2世は「国君、国主、全時代の君主、万国の王、全カリフの最大者、宇宙使徒の継承者、地球における神の影」という尊称を持っていた。また、スルタンはマキャベリの「君主論」の愛読者であり、「楽しみのための読書としては、恐ろしく、奇怪で、殺人などの多い通俗小説が多い」(これはたぶん、勃興期の探偵小説のことだ)。
エジプトは1806年にトルコから独立し、「副王」という称号をもった支配者がいた。
ペルシャ皇帝の横にはいつも、バフーンという道化師と、3人の小人がいて、滑稽な話をしたり、噴水に投げ入れあったり、頭に火をつけあったり(!!!)して、皇帝を楽しませる。


ロッコ帝国のスルタンは自転車に乗るのが趣味であった。また、映写機を取り寄せ、ロンドン、パリなどの最新の様子をしっていた。
アビシニア王国(エチオピア)皇帝は、王宮に3匹のライオンを放したことがある。ヨーロッパ人がその危険を話すと、「そうだな、ときには人を殺す時にある。そのときにはライオンを殺せばよい」と答えた。
ブータンはヒマラヤ山中で独立したいた。王と大ラマがいた。
アフガニスタン王は、午前4時でも、腹が減ったらすぐ、料理を作らせた。
ネパールでは、国務大臣は政治のような俗事を王の耳に入れるのは、王の神聖さを汚すと考えていた。