「24年組」、少女マンガ家たちの”トキワ荘”「大泉サロン」 「耽美マンガ」には黒幕がいた!!

別冊宝島「70年代マンガ大百科」を読んでいたら、上記、「大泉サロン」のことが書いてあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/24%E5%B9%B4%E7%B5%84#.E5.A4.A7.E6.B3.89.E3.82.B5.E3.83.AD.E3.83.B3

「大泉サロン」とは後に「24年組」と呼ばれる女性漫画家達の拠点であった東京都練馬区大泉の竹宮惠子萩尾望都が同居していたアパートを指す(なお「大泉サロン」の命名者は坂田靖子)。竹宮の友人の増山法恵(竹宮のプロデューサー・原作者をへて、のちに作家)が女性版トキワ荘のような場を作る計画を立て、増山の家の真向かいの長屋で竹宮と萩尾が生活し始めた。


そこへ昭和24年頃生まれの若き女性漫画家達が次第に集まり、「しょっちゅう遊びに来ては滞在し、漫画を描いたりアシスタントをしたり語りあったりして、帰宅する」生活を送るようになった。彼女らの多くはその後の少女漫画界を担う人材として成長していった。


ところで、ここで驚くのは、上記「大泉サロン」のプロデューサーの「増山のりえ」が言うには、「当時の竹宮も萩尾も、映画や小説の知識はほとんどなく、私が教え込んだ」という。(萩尾はSFは読んでいただろうが、文学作品はほとんど読んでなかっただろうねえ)

そう、『デミアン』とか、”ウィーン少年合唱団”とか、少年系を勧めたのは私なのです。私は昔から”少年愛”に憧れてたし、”パブリック・スクール”とか好きなんです。それに当時の竹宮の絵は、少年のほうが全然魅力的だったから、少年の世界を書いてほしくって。モーさまは元々、少女の世界の人だとみてるので、今振り返ると悪いことしたかと思うけど。

だって・・。こういう「黒幕」の人がいたのか・・。