収録作品(石川喬司・福島正実編) 光瀬龍「限りなき空間」「宇宙救助隊二一八〇年」「人間を越えて」「落陽二二一七年」 高橋泰邦「宇宙塵」 石原藤夫「ハイウェイ惑星」 矢野徹「耳鳴山由来」 小松左京「神への長い道」「紙か髪か」「時間と次元への旅」「影が重なる時」 星新一「来たるべき明日」「白い服の男」 眉村卓「万国博がやってくる」 筒井康隆「ベトナム観光公社」「ブルドッグ」 生島治郎「世代革命」  谷川俊太郎「二十一世紀の教養」 河野典生「機関車、草原に」 都筑道夫「イメージ冷凍業」 北杜夫「贅沢」「意地悪爺

SFの文学性 中田耕治

 ある日、私のところに友人の福島正実から電話かかってきた。
 お互いに逢う機会がなくて、三、四年ぶりに久闊を叙しあったわけだが、彼はそのとき、SF小説と文学の問題について短いエッセイを依頼してきたのだった。たまたま、その数日前、私はパラードの「結晶世界」の書評を書いて、それを読んだ福島正実が私のことを思いだしてくれたわけだった。
「SFと文学の問題なんて、あまり考えたことかないなあ」私はいった.
「つまりさ、SFの文学性に関して、批評家がいろいろ論議しているだろう。だけど、どうも的外れな意見が多いような気がするんだ。それで、きみにエッセイを書いてもらいたいと思ってね」
 私は久しぷりに機会をあたえてくれた福島正実の好意がうれしかった.
 だが、SFについて、文学について、私が何を知っているだろう?
 SFについて考えることは、私にとって宇宙について考えるくらいむずかしい。宇宙の本性や歴史を考えるためには、宇宙が何でできていることから検討するのが順序だろう。私たちが現在観測し得る宇宙は水素からウランまでの規則ただしい、しかも混沌としたさまざまな元素から組成されている。どうしてこれらの元素は現在かくあるのか、また、どのような原物質から成っているのか。


  ああ、それはばかげている
  地の中で一瞬にして自然が 
  金を作ったなどというのは。
  その前に何かがあった
  何か遠いもとの物質があったはずだ


 これは、もしかするとシェイクスピアぐらい偉かったベン・ジョンスンの戯曲の一節だが、こう考えたとき、ベン・ジョンスンはいわぱSF的な発想をもったのか。
 おなじことは、たとえば核エネルギーについてもいえるだろう。
 いうまでもなく核エネルギーは、現在、人類がもっとも深刻な不足として直面しはじめているエネルギーの不足を解消させるものとして考えられている。(ここでは、軍事用の核エネルギーについてはしばらく考えない)それはただちに、あたらしい利学革命の前兆、乃至は象徴と考えられた。核エネルギーそれ目体よりも、あたらしいサイエンティフィック・エイジの到来に世界はわきたったといえる。
 こうしたオプティミズムは、むろん原子力技術のおどろくべき進歩の速さを反映している。もう少しはっきりいえば、私たちの科学や技術がどれほど無限のひろがりをもち、いかに成功したかを私たちが認めるにつれて世界じゅうに行きわたった全般的な楽観のあらわれであった。
 だが、私はひそかに呟くのだ。「人類はいまや自ら生存することを欲するかどうかを問うべぎである」と語った最晩年のヴァレリーのことばを。こう問うたとき、ポール・ヴァレリーは、いわばSF的な発想をもったのだろうか。
 私たちの世紀は、いまや情報産業時代と呼ぱれているが、コンピューターの技術の応用における、これまたおどろくべき発展が、私たちに限りもない幸福をもたらした。いつだったか、私はコンピューターが作曲した音楽を聴いたことがあるし、四行詩を書いたことを知った。また、トマス・アクィナスの全著作は、約千三百万語だそうだ、その全著作にあらわわることばのインデックスをつくるためには、五十人の学者が四十年間かかってやっとできるほどの事業だという。それが現に、イタリアのある図書館で、コンピューターにかけるために、古い努力が必要とする時間や労力に比較して圧倒的に短い、容易な仕事として進行しているという。
 こうしたことは、知識、知識の探求がますます統一し、結合しつつあることを物語っている。宇宙の起源にはじまり、地上における生命の発生、ぞの後の進化と人間の歴史、高エネルギー分子理論、そして「スンマ・テオオギカ」まで、ことごとく連続体をなしているわけである。もはや全体から、あるいは全体の組みたてから孤立した知識や、ほんとうの理解はない。ベン・ジョンスンも、ポール・ヴァレリーも、トマス・アクィナスも知らなかった幸福ではないか。
 もはや、私たちは、「ユウレカ!」と叫びながらお風呂からとび出したアルキメデスや、裁判にかけられて自説を撤回しながら、執念ぶかく「それでも地球は動く」と呟いたガリレオの不幸とは無縁なのだ。
 現在の未来論は、まさにこうした幸福のうえに築かれている。私たちは、この幸福に於いて、大規模な科学的、技術的問題は解決可能だと信じている。そして、SFのかなりの分野は、この意味で幸福の文学なのだ。
 いつだったか、アーサー・C・クラークの原作による「ニ○○一年宇宙の旅」という映画を見た。あの映画をごらんになった人には説明する必覧がないが、冒頭の部分は、人類に進化する以前の猿の集団の描写がつづく。その猿の一ピキが、偶然何かの動物死骸の骨をつかんでたたきつける。それが「道具」の発見だった。
 と、つぎの場面には、大宇宙の空間に壮大な宇宙基地が、慄然たる星辰を背景にあらわれたではありませんか。
 おお、何という幸福! 私は胸が痛くなるほど感動して、それからあとは、あんまり幸福で眠ってしまった。眼がさめたときはラスト・シーンで、宇宙飛行士が、永遠なる胎児になって幸福な眠りを眠っていたから、やっばりいい映画を見たという幸福感で、また胸が痛くなった。いや、頭かも知れない。
 つまり、少し飛躍していえば、あのお猿さんが牛の骨だか馬の骨を発見して以来、人間のあらゆる組織、人類がおのれを政治的、社会的環境に関係づけてきたのは、それまで牛の骨をもたなかった不幸という枠のなかで考えられた基本的な哲学の反映である、といえるだろう。私たちが現在かく在って、現在の政治、経済、社会を作ったのは、幸福の追求がいつも牛の骨によって打ち砕かれるという人間の知識に対する反応なのだ。
 考えてみると、文学にあらわれてくる主人公たちはみんな不幸だなあ。ラスコーリニコフ、ジュリアン・ソレル、エマ・ボヴァリ、それに、ぼくの好きなヘミングウェイの可哀そうな主人公たち、フォークナーのエミリイやサトペンやポパイたち。
 SFは、福島正実が正確に指摘したとおり、現在の種種さまざまな問題を、時間的、空間的な広がりのなかに投影し、そこに結ぷシュミレーション像と現在を比較することによって、現在への洞察を試みる文学である。
 私としては、一つだけつけ加えたい。その現在への洞察は、お猿さんが牛の骨をつかんだという不幸を忘れてはならたいのだ、と。
 私たちは、まだまだ不幸なのである。

SFに憑かれて 矢野徹

 昔習った言葉に効用価値というのがある。SFのそれは、逃避だ、娯楽だ、と言われるだろう。だがぼくには希望を与えてくれる効能が大きい。過去も現在もだ。ぼくにとってSFは、希望の象徴と言っていい。
 その背景には、ぼくの過去、大きく言えぱ日本の歴史がある。ぽくのSFに対する目覚めは敗戦に始まる。
 軍服一枚で帰ってきた寒い年末、わが家は丸焼で食ぺ物はなかった。焼け跡には、精一杯集めた本の表紙が炭化して残っていた。土方、俄か通訳、何でもやった。本が読みたくても高くて手が出なかった。
 無料で読めるのは米軍の図書館、それは米軍のボイラーで山のように燃やされていたポケット・ブックだった。ぼくはネーサソのファンタジイを知り、それからSFの世界を知った。昭和二十三年ごろの話だ。ぼくほ玉蜀黍のパンをかじりながら横文字のSFを読んだ。
 確かに逃避でもあったろう。厭な苦しい現実の生活の中では、SFはひとつの麻薬だったんだ。星々の王者のこのわしも、未開の惑星へときならぬ不時着では、食うにことかくも仕方がないわい、てなもんだ。ま、少しは頭も変だったでしょうな。
 なぜSFに惹かれたか、その理由のひとつはぼくの状況に、アメリカ人の西部開拓精神に共感するものがあったからかもしれない。ほくはアメリカかぶれは一度もしなかった。だが、共感は覚えたのだ。
 つまり、アメリカの発展の基盤は、過去の代用を未来に求めたところにあると考えたからかもしれない。かれらには長い歴史の背景がなく、誇るべき文化の伝統がなかった。そして過去の栄光に代用するものを未来の希望に求めたのではなかったか。かれらにとって、西部の荒野は、未来のオアシスと考えられたのではなかぅたか?
 兵隊帰りのうらぷれたぼくにとって、過去は誇るに足るべきものではなかった。自分の国が敗れたことにも怒りを感じないほどの情ない男に、過去が希望の象徴であってたまるものか? その時点に於て、ぼくは過去と断絶したかった。
 敗戦ぼけの白痴状態のぼくにも、希望は必要だった。希望は現在の食料だけじゃない。未来の希望を象徴するもの、西部開拓者貧乏人が未来を求めたように、ぼくはSFに未来と希望を求めたんだ。
 ふすまを食ぺ、玉蜀黍をかじりながら、ぼくはスペースオペラに酔い、宇宙の美女を抱き、山海の珍味を食べたんだ。デネブのステーキを知り、ポラリスの三色海老を知るものにとって、地球の食べ物なんざ、ま、当座の口しのぎ。
 過去と断絶してSFに飛びこんだほくにとって、芥川はブラッドベリに変わり、乃木大将はハインラインと変わった。
 そして五年がすぎ、アメリカ一のSFファン、アッカーマンを知り、ニ十八年にはかれの世話でアメリカ各地で半年SFの中に漬かった。もうぼくは、SFから離れることなど夢にも思わなくなっていた。そのころのぼくは、SF一冊をニ、三時間で読めるようになっていた。たぷん目が良かったのと、読むだけで良かったからだろう。
 未来をSFにかけた希望は徐々に形を作っていった。SF放送ドラマ、SF読物、SF翻訳、SFの市場を求めながら、SFを読み作り訳し、そして働き続けた。SFのおかげで良い友達もできた。
 ファンの数はふえ、こんな全集まで出る時代になった。ぼくの未来はやってきた。これからは何をすればいいんだろう? SFに求める新しい希望は何なのだ? それをこれから探そう。
 敗戦と、当時のぼくの幸福を求める心のうずき。それは実に大きくぼくの心に根をおろしている。つまり、現在のぽくがSFテーマの中で最も興味を覚えるのは、終末ものと超能力者ものなのだ。やはり過去はぼくをつかまえて放さないものらしい。
 とすれば、これからの若い世代の読者が求めるSFのテーマは「幸福、マイホーム、ゲバ棒」というようなことになるのだろうか。
 SFにどっぶりとつかったニ十年。これを書いている一時間前の午前六時、ぽくはハミルトンの『天界の王』を仕上げるため二十四時間、かかりきりだった。いかにSF漬けのぼくでも珍しいSFのニ十四時間だった。そのあとでこの月報を書き、急ぎのSFコントを考える。ああ、現在も未来もSFでいっぱい、希望がいっぱい。

言葉の壁 石川喬司

「いよいよ日本篇の登場だね」
「ああ。ある意味では、この全集の”目”ともいえる巻だが、活きのいい国産品を集めてこんな巻を編めるなんて、つい数年前までの”舶来一辺倒”時代を思うと、まるで夢のようだな」
「まったく。例のジンクスー<SFと西部劇の出版はどうしても成功しない。手を出せぱかならずつぶれる>というジンクスの支配した時代が本当に長かったからなあ。君の『日本SF史の試み』の一節を思い出すよ−−<戦後まもなく刊行されはじめた《アメージング・ストーリーズ》(誠文堂新光社)は七冊で中断、昭和29年末に創刊されたわが国初のSF専門誌《星雲》(森の道社)は一号だけに終り、翌年に企画された室町書房のSFシリーズは二冊でつぷれ、31年にスタートした『最新科学小説全集』(元々社)は第二期に入っていいところまで行きながら二十冊で挫折、講談社版『SFシリーズ』も六冊であとがつづかず、渡辺啓助らのつくった"おめがクラブ”の機関紙《科学小説》も二号で止み……>。なんともやりきれない気分だった」
「そのジンクスが、スプートニクとともに打上げられた『ハヤカワ・ファンタジー』(32年12月〜。のちに『ハヤカワSFシリーズ』と改題)によって破られたわけだ。そして、同人誌《宇宙塵》(32年5月〜)の成長、専門誌《SFマカジン》の誕生(34年暮れ)、第一回日本SF大会(37年8月)の成功、日本SF作家クラブの結成(38年3月)、『日本SFシリーズ』の発足(39年11月)……と目まぐるしい発展をみせ、ついに『世界SF全集』に結実する。SFの歴史の浅い日本で″世界でもはじめての”こんな全集が生れたことは、注目されてもいいことだよ」
明治維新後の日本が、欧米文化をめざましい勢いで吸収消化して、短時日で”列強”に伍したケースに似ているね。古典から現代まで、それなりの歴史をもったSFの遺産と最新の収掻を、客観的なパースペクディヴをもって、気ままに味わえたのだから、見方によっては、ぼくらは逆にずいぶん恵まれていた、といえるかもしれないな。ところで、全集の35巻のうち、日本関係が6巻を占めているわけだが、どうだろう、その水準は?」
「まず世界の尖端を行っている、と自賛してもいいんじゃないか。小松左京の『果しなき流れの果に』をはじめ、ヒューゴー賞などメじゃない作品が並んでいるんだから。たとえば、星新一の東洋的原思想者的サタイア光瀬龍の無常SF、筒井康隆スラプスティックSF、眉村卓のエコノミックSF……視野の広さ、シリアスな問題意識、SFというジャンルのもっている豊かな可能性の掘下げ……などは、他国の追随を許さない(ちょっとオーバーかな)。ただし、そうはいうものの、冷静に眺めてみれば、日本のSF界の内部は問題だらけなんで−−」
「というと?」
「まず第一に、高度成長すなわち伝統の欠如さ。そこから来る底の浅さ。あちらのような裾野の広がりがまるでない。需給のアンバランスが極端で、数人の売れっ子作家が中間雑誌に才能をしぼりとられている現状は、健全な姿とはいえない。第二に、いくら世界の尖端を行く、と威張ってみても、言葉の壁は厚く、国産品の輸出はほとんど行なわれておらず、極端な一方通行にすぎないこと。第三に−−」
「ちょっと待った。その第二の問題点をもうすこし詳しく聞こうじやないか。数年前から、日本SFの海外進出という言葉をよく耳にしてるんだが」
星新一の『ボッコちゃん』が斎藤伯好訳で、アメリカの《MFSF》誌('64年1月弓)に掲載されたのが、たしか海外進出の第一号で、その後、安部公房の『第四間氷期』などがアメリカ、ソ進、チェコで翻訳されたのにつづいて、星と小松の二つの短篇がソ連版『世界SF選集』の国際短編アンソロジーに収録され、さらに昨年5月にモスクワのミル出版社から出た日本SF短篇集『ホクサイの世界』に十三篇(星『タバコ』『願望』『危機』『冬来たりなぱ』『宇宙の男たち』、小松『地には平和を』『ホクサイの世界』『神か髪か』『新趣向』、光瀬『勇者還る』、高橋泰邦『海底の歌』、北杜夫『タイムマシン』が入った−−これが日本SFの海外進出の全貌だよ。もっとも他にも、たとえば筒井康隆の『時の女神』が時計会社の海外向け日本パンフレットとして英独仏中国語に訳されたとか、海外向け旅行ガイドブックに星や小松の掌編が英訳掲載されたとか、そういったケースはあるが、いずれにせよお寒い現状という他ないね。もしサイデンステッカー氏がいなかったら、川端康成氏のノーベル賞受賞はどうなったか−−などと考えるのは邪道かもしれないか、とにかく世界のSFのイニシアティヴを取ろうか、という日本の肝心の作品があちらに伝わっていなのでは、お話にも何にもなりゃしない。福島正実が、例のキャンベルに会ったときも、<まず作品を横文字で見せててほしい>ということだったらしいな」
「なるほど。それで、日本のSF界にドナルド・キーン氏やサイデンステッカー氏はいるのかい?」
矢野徹が音頭をとってそういう組織をつくりはじめたって聞いたけど、前途多難らしいよ。日米間のファンダムの交流がかなり活発になってきたから、そちらの方からあるいは曙光がさすかもしれないが」
「考えてみると、ソ連のように、向こう側から言葉の壁を積極的に乗り越えて手をさしのべてくれるのは、本当にありがたいことだね。で、第三の問題点は−−」
「詳しく話す余裕がなくなったが、要するに、時代を先取りしてたはずのSFが、今や時代のあとをくっついていくのが精一杯に近くなってきたことだよ。SF的発想が未来諭の流れの中で埋没してしまいそうな状況もあるし、社会全体にSFへの寛容さが出てきてその中でいい気になりかねないようなところも出てきているし……SF界の元禄泰平的ムードは地獄と紙一重なんじゃないかな」