ソビエトSFとの出あい 豊田有恒

 ソビエトSFとぼくの出あいは、イワン・エフレーモフの「アンドロメダ時代」と、ロソホパッツキーの「砂漠の再会」でした。それ以前にも、いくつかの短編には、お目にかかっているわけですが、あまり記憶には残っていません。というよりむしろ、欠点のほうが気になって、悪い印象しか残っていないといったほうがいいようです。
 ソビエトSFに共通する、人間性への突っこみの浅さと、イデオロギープロパガンダ臭、このニつの弱点か気になって、安心して読めないという怨みが、つねにつきまとってきました。そのころ、ハードなSFを目ざしていたぼくにとって、そこで扱われる科学的アイデアには、すばらしいものがあり、捨てがたい魅力があったのですが、とっつきにくさのほうが先になってしまったのです。
 こういったぼくの偏見をあらためさせたのは、七〇年の国際SFシンポジウムでした。そこに出席したソビエトSF作家たちと、パーソナルに話しあったのち、いろいろな無理解や偏見があったことに気がつきました。
 SFシンポジウムに出席したソビエト作家は、ソビエト作家同盟の代表団という資格で、この国へやってきました。僅か五人の一行でも、代表団であるからには、つねに公的な資格がつきまといます。団長のワシリー・ザハルチェンコ氏は、「技術青年」の編集長ですから、シンポジウムや参加作家の取材という使命もありました。その点、個人の資格で参加したA・C・クラーク氏など、英米のSF作家とは、まったく心構えがちがうわけです。しかし、だからといって、ソビエト作家が、あつかいにくい、きゅうくつな人間だったわけではありません。それぞれの国の体制のちがいによって、人間が違ってしまうわけではありません。せんじつめれば、どこの国に住んでいても、人間であることに変りはないということになります。
 エレメイ・パルノフは、ダンスの名手で、F・ポール夫人をパートナーに、ホテルのバーで妙技を披露してくれました。ユーリ・カガリツキーは、ジョークが得意でした。共同コミュニケの作成に、日本側のみなさんが困っていたとき、「どうせなら、こういう書きだしは、どうだい? ニ十世紀の最後の四分の一は、サイエンス・フィクションという名の亡霊が徘徊することになるだろう」いうまでもなく、これは、カール・マルクスとF・エンゲルスの「共産党宣言」の書きだしのパロディです。ウクライナのSF作家ワシリー・ペレジイノ氏は、いかにも人のよさそうな小父さんで、英語も日本語も話せないのに、だれからも親しまれていました。団長のザハルチェンコ氏は、いかめしい研究熱心な人で、日本のものは何ひとつ見のがすまいとしているかのように見えました。
 こうしてパーソナルなつきあいを通して偏見がなくなったところで、ソビエトSFを見なおしてみると、いろいろな点に気づきました。ソビエトSFには、あまり破滅テーマを見かけません。未来に全世界が共産主義化してユートピアになっているはずだから、人類の破滅などとんでもないという、天降り的な制約があるのかと思っていましたが、どうやら、そうではなさそうです。たしかに、全体主義の惑星を描いてストルガツキーが批判されたように、いくつかの思想的なタブーがあるようです。しかし、考えようによっては、程度の差こそあれ、それはどこの国にもあることだと思います。ソビエトSFの特徴は、科学というものの考え方のちがいによって、小説的な構成が変っていることだと思います。つけたりの恋愛や、平板な悪人の登場など、小説作法としては、疑問の点がすくなくありません。しかし、あの国のSF作家は、そこが書きたいのではないのです。あの国では、科学者という人種が、たいへんおもいきった発言や行動をします。火星の衛星は人工のものであるかという類のことです。そこで、あの国において、SF作家として食べていくためには、もっととんでもないことを書かなければなりません。SF作家は現在の科学知識をペースにして、知的なゲーム性をもったアイデアを、さらにソフィスティケートさせなければならないのです。
 そういうSFが是が非かということは、ここでは論じません。しかし、それが、あの国のSFというものなのです。日本でならさしずめ架空ルポの形をもった未来論や、科学啓蒙読物とよばれるようなものも、あの国では、ナウチナヤ・ファンタスティカ−−つまり、SFの範疇のうちにはいってしまいます。そこでは、アイデアの面白さが、とことんまで追及され、知的な読者に提供されます。
 このシンポジウムを機会に、ぼくも、じっくりソビエトSFを読みこんでみたいと思っています。