小野寺誠「白夜の国のヴァイオリン弾き」(講談社文庫 ISBN:4061858130)

10年ぶりの再読。前回読んだ時に印象的であった「ヴァイオリン演奏を通じて弾かれあった、12歳の少女と45歳の著者とのプラトニックな恋」、それ以外はほとんど忘れていた。


81年の秋、前著「ジプシー生活誌」を日本で刊行した小野寺は、妻子の待つフィンランドの田舎町ニーサルミに帰国するが、職もなく、孤独と無聊をもてあましていた。そこで彼は、中学の頃、親友に教わったヴァイオリンを一人で演奏し始めた。


そこで、小野寺がふと新聞で目にした「ペリマンニ講座」に参加したことから、彼はニーサルミの音楽愛好家の世界に足を踏み入れることになる。ペリマンニ音楽は民衆向けの土俗的な音楽であり、クラシックとほぼ同じ楽器を使用するが、演奏は単純で情熱的なものである。
「講座」と思い、参加した著者が体験したのは、いきなりの、観客たちの前での実地演奏。だが、なんとかそれをこなし、素朴だがパッションあふれる演奏で、聴衆達を熱狂させるペリマンニ音楽の虜になる。
そしてまた、ラップ人やジプシーのような「フィンランド内マイノリティ」と親族という狭い世界しか親交がなかった著者は、初めて、多くのフィンランド人との親密な交友関係を得ることになる。


ちょうどその時期は、フィンランド国内でも「下位文化」とされていた「ペリマンニ」が見直されていた時期らしく、全国的なペリマンニの集会等も何度も開かれ、著者もそれに参加する。(冒頭に書いた、少女との出逢いも、この大会で起きたものだ)


ここで登場する印象的な人物が、クラシックのヴァイオリンの名演奏家・インキネン教授である。彼はペリマンニに対して、アンヴィヴァレントな気持を抱いている。というのは、彼自身もペリマンニの家系に生まれ、そこで初期音楽教育を受けながら、後にクラシック畑で成功をおさめたからだ。
彼は「あんな下品な音楽」と小馬鹿にしながらも、イーセルミのペリマンニたちの指導者となり、ペリマンニ全国大会では全国の名手共を前に、華麗なハイテクニックを披露して、彼等の度肝を抜かせる。


だが、ここで今度は、「レッセのラッシ」という人間国宝級の老ペリマンニが現れる。
正式な音楽教育を受けた訳でもないのに、透明で純粋無垢なヴァイオリンの音をかなでるラッシに、普段は傲慢きわまるインキネン教授も、「素晴らしい演奏を聞かせてもらってありがとう」と礼をいうのであった。


そして、インキネン教授の尽力で、ニーセルミにオーケストラが設立され、著者はペリマンニとオーケストラと双方の活動を行うようになる。そこで見えてくるのは、クラシック愛好家とペリマンニ愛好家との階級差であるが、異邦人である著者は、その双方を行き来可能である。


だが、85年、小野寺は「稼ぐために」日本に帰国することになる。「ヴァイオリン狂い」の4年間は、収入とはなんら影響ないものであったためだ。
そして、帰国した彼を待っていたのは、中学時代にヴァイオリンを教えてくれた親友・八村義夫の葬儀であった。


この本には、クラシック演奏家にしろペリマンニにしろ、業のように音楽にとりつかれた人物たちが、多数登場する。また、「12歳の少女との恋」は、二人でヴァイオリンを一緒に演奏しているうちに、互いの人間性についての共感が生まれ、それによりお互いに惹かれあった、というもので、言葉はほとんどかわしていない。
音楽の持つ魅力と魔力、それがこの本で一貫して流れているテーマだ。