『マイナス・ゼロ』台本 広瀬正の作品を藤田敏八が映画化しようとしていた!

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藤田敏八監督が日活で『マイナス・ゼロ』の映画化を企画していたことを覚えている映画ファンはいるだろうか。

「かなり前に広瀬さんと旅館にこもって、脚本にして、印刷したものを彼に届けようとした朝、彼が倒れちゃったんですよ。お通夜から葬式までずっといてね、彼の棺の中に、そう、タイムマシンと書かれた棺の中に、その台本を入れたんですよ。あれをやるには、昭和11年の銀座のセットを作るだけで5千万円かかるということもあって、実現できなかったんですけどね。いや、まだ、あきらめちゃいませんよ。SFはやりたいですね。人間が裏側にベッタリついてるSFをね」

と、今は亡き藤田敏八監督が語ってくれたのは、日活がにっかつへと社名を変えた翌年の1979年夏だった。原作には昭和7年の銀座が出てくるのだが、脚本では昭和11年に変更したのか、藤田監督の記憶違いか。それはともかく、もし『マイナス・ゼロ』が映画化されていれば、日本SF映画史上に輝く金字塔となっていたかもしれない。