松垣透「破門 ただ今、落語修行中」(リム出版新社 asin:4898001653)

図書館本、読了。
題名に「破門」とあるが、このノンフィクションに書かれている落語家の前座たちは、全員が「破門」になったものたちではない。だが、メインは、立川談志に「破門」された弟子たちの物語で、それが一番面白い。


第1章はこの本の1/3くらいを占めていて、2002年5月、談志から「6人の前座全員の集団」で「破門」になった前座たちの話だ。このエピソードが、やはり一番面白く、著者も力が入っている。
6人のうちの1人の立川志加吾は、立川流の厳しさや、談志の変人ぶりをネタにした「風のマンダラ」という漫画を描き、人気になった人だ。(私も、この漫画は好きだった)


彼らは2日後に談志の家に集まり、現在の芸を見せるが、談志は「やはり破門」という。
翌年、2003年5月に、首になった前座たちの5人の復帰試験の日が来た。(なぜか、6人のうちの1人は、「いないと不便」ということで、すぐ前座に復帰していた)
ひとり、立川談修だけが復帰できた。他の5人は「破門」のままだった。


その後、立川志加吾と立川談号は、立川流への復帰をあきらめ、名古屋の「名物寄席」大須演芸場に行き、名古屋でただ一人の落語家・雷門小福の弟子になり、それぞれ、雷門獅篭、雷門幸福と、名前を変えた。
大須演芸場は客が少ないことで有名で、いつも20名くらいしか客がいなかったが、二人は毎日落語ができて、伸びていった。


のこされた2人、立川キウイ立川談大は「破門」のままだった。
翌年、2004年1月2日が、また二人の復帰試験がきた。二人の芸を見た談志は「自分で決めたくない、みんなで決めてくれ」と、二人の兄弟子たちにゲタをあずけた。兄弟子たちは、「前座として戻すのならいいのでは」と考え、二人の復帰が決まった。


第2章は立川志らくの弟子の、立川らく吉の話で、この人は29歳で入門したが、「客を笑わせても快感が得られず」、5年で自分で止めていった。彼は落語家に向かなかった人なんだな・・。
第3章は、三遊亭好楽の息子で、円楽の弟子になった三遊亭王楽の話。彼は順調な落語家生活をしている。
第4章は、二つ目の落語家たちが競う「NHK新人演芸大賞」の舞台裏の話。


第5章は、再び談志から破門された前座の話で、国士舘大学卒の、立川國志舘の物語。彼は、その後、円楽の弟子になり、三遊亭案楽になった。円楽党は「落語界で一番、昇進が楽」なところで、「落語界で一番、昇進が厳しい」立川流からきた彼は戸惑った。


1冊通して読んでみて、本としてバランスが悪いと感じた。やはり「談志と弟子たち」の話だけの、本にすればよかったのになあ・・。でも、元・志加吾が落語家として伸びているようなのは、うれしい。


談志には、「落語は人間の業の肯定」という有名な理論があるが、「破門」しておきながら、談志は厳しくあたったり、温情を見せたり、その行動は矛盾の塊だ。談志自体が、「厳しい芸の世界」と「弟子への人情」との間で、ゆれ動いているのだ。(その気分に振り回される弟子たちは、たまったモノではないが・・)