桜井昌一「ぼくは劇画の仕掛人だった」(エイプリル・ミュージック asin:B000J8HEN4)

図書館本、読了。以前読んでいたのだが、桜井の弟・辰巳ヨシヒロによる自伝漫画「劇画漂流」を読んだので、この本も再読してみた。
以下が内容が収録。


「劇画風雲録」は、濃厚な内容である「劇画漂流」を読んだばかりのこともあり、それほど面白いものではなかった。
「劇画漂流」ではかなりキツク描かれていた、「病弱の自分を先おいて、漫画家として伸びていく辰巳へのジェラシー」などは省略されている。桜井にとって、思い出したくない過去だったのだろう。


「劇画漂流」では、ミッキー・スピレインの作品を辰巳初め仲間に薦めるなど、桜井が「劇画の仕掛人」というか仲間内の「ブレイン役」であったことがよくわかった。この本では、なぜ桜井が「仕掛人」なのか、よくわからない。(まあ、「仕掛人」という題名は出版社がつけたものなのだろうが)


そして後半の「劇画人列伝」が、遠慮ない筆致で、面白い。

  • 水木しげる佐藤まさあきの奇行。これは彼らの著書でわかるものだが。
  • 水島新司のデビュー前の貧乏ぶり(父親の借金返済のため、中学卒業直前から借金のある卸会社に勤務していたという。そして大阪に出て日の丸文庫に勤務して稼いだ金も親の借金返済にあてられた)。そして、その境遇からくる「サービス過剰」な性格について。
  • 山上たつひこの、やはり経済的にめぐまれなかった葛藤について(大阪時代は母親と二人暮らしで、山上が家計をささえていたという)。そして、三宅政吉が山上のアシスタントをおり、同人誌「跋折羅」の応援を山上がしていたことも初めて知った。アシスタントや編集者に突拍子もない悪戯をしかける「躁鬱的」な山上の性格に、桜井はその苦しい全半生の影響を見る。
    • と思ったら、こちら(http://www.mumyosha.co.jp/topics/03/nanda.html)に南陀楼綾繁さんが「跋折羅」のことを書かれていて・・。「山上たつひこのアシスタントは、三宅兄弟のうちの兄の三宅秀典」となっている。この桜井の著では該当人物は「M、昭和26年生まれ」書かれていて、政吉の生年が1951なので政吉のほうだと思ったのだが・・。
      • さらに調べたら、貸本漫画史研究会のHPに(三宅秀典、1951年生まれ。漫画家アシスタントを経て)と書いてあった(http://www.kashihonmanga.com/kmit.html)。なので、山上のアシスタントは兄の三宅秀典で確定。この三宅兄弟は生年が同じということは、双子なのかなあ。
  • 永島慎二のヤンチャぶりについて。「劇画工房」時代に、彼等と交際するようになり、彼等のマドンナであって「喫茶店ウェイトレス」と結婚。また、杉村篤と二人で勝手に、辰巳ヨシヒロのテレビを質に出そうとしたこともあったという。
  • つげ義春の「李さん一家」は、「養鶏所で屠殺される雄のヒヨコを食べている」とつげ自身は語っていたらしい。


そして桜井の漫画評論家としての面が出ているのが・・。

  • さいとうたかをの本質は、「合理主義」だと。彼のプロダクション・システムにしても、彼の絵柄についても・・。
  • 白土三平の「神格化」を否定。「忍者武芸帖」の奇想の喪失を惜しむ。