1979年の「各務三郎による植草甚一のテキスト批判」の検証(本題 その1)

★★10/10 下記の「検証」に、事実の確認不足があったので、赤字で訂正する★★


さて、それでは始めよう。各務の批判にあるように「植草氏の文章は、どこまで他人の意見で、どこから氏の意見がはじまるのか判然としないという特徴」があるため、検証するのもなかなか、骨がおれる。


批判されている『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』の単行本は78年に刊行。79年に日本推理作家協会賞を受賞し、その年の12月に植草は死去した。植草の最晩年の著作である。


まずは、各務の批判の最初の部分を紹介。

おそらく----『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』の書評には、わたしは向いていないのかもしれない。著者は、ジャズ、映画、ミステリー……何でも評論し、その評論ぶりが多くの人たちに愛され、高く評価されている外国通なのだそうだ。エッセイ・評論集が何十冊も出版されているのだから、そうなのだろう。だが、ことミステリーに関するかぎり、わたしには、なぜ氏が高く評価されているのか、理解に苦しむ。氏のよき読者ではないからだろう。


たとえば----本書は、海外ミステリー随想、書評、ミステリー講座の三本立てになっていて、起承転結のない、世にいう植草調なる文章がつづいている。だが……これほど独断と偏見にみちた本も珍しい。さらにミステリー専門出版社から刊行されたにもかかわらず、それを指摘する編集者がいなかった事実にショックを受ける(書評以外はミステリー雑誌に掲載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった)。

まずは、『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』の構成および初出を説明する。


第1章のコラムは、ミステリマガジン74年4月〜76年1月に連載。
開始時期の74年は、植草が始めてニューヨークに滞在した時期で、コラムの内容もニューヨークでの書店での書店の渉猟ぶりなどが、ヴィヴィッドに描かれている。
第2章は書評で、読売新聞に74年〜77年に掲載。
第3章の「ちいさな教室で10回もやった探偵小説の歴史の講義」。
これは、朝日カルチャーセンターで、74年暮れ(?)から75年にかけて講義したものの、活字化である。
それが即座に、75年2月〜75年12月にミステリマガジンに連載されているから、ミステリマガジン編集部が録音からの原稿起こしをしたのだろう。
それにしても、75年に及んでは(片方が講義の活字化とはいえ)ミステリマガジンに2種類の連載をもっていたのだから、いかに当時の植草が人気があったかが、わかる。


なお、各務は1969年8月号から1973年6月号まで「ミステリマガジン」の編集長をつとめていたが。「作品の誤掲載」(ある短編を誤って、半分だけ掲載してしまった)の責任を取り、不本意な形で早川書房を退社している(小森収インタビュー集 『はじめて話すけど…』より)。


植草コラムの『ミステリマガジン』での連載開始は、見事に、各務の退社後のことである。
つまり、「ついこの間まで、自分の雑誌だったもの」に、「自分は評価していないのに、世の中ではもてはやされているライター」が大量に執筆し、そのまま単行本になってしまったのが、意にそまなかった。
という私憤(とまではいわずとも、それなりのバイアス)が、このコラム執筆にあたって各務にあったことは、おおいに考えられる。


「書評以外はミステリー雑誌に掲載されたものだから、まずその時点で編集者のチェックがあってしかるべきだった」。
これなど、事情を知っている人からすれば、ものすごいいやみである。自分の後任者たちを批判しているわけだから(当時の編集長たちは長島良三菅野国彦の二人)。
そしてこの各務のコラムが掲載された『EQ』は、このコラム掲載の1年前の1978年に創刊されたばかりの、『ミステリマガジン』のライバル誌である。


続いて、また、各務の批判を引用する。

ティーヴン・マーカス編『コンティネンタル・オプ』に触れている部分をみると、どうやらニューズウィークの『コンティネンタル・オプ』書評について書いているらしい。「……もうひとつの『黄金の馬丁というのは、ある事件があって、競馬の騎手四人に頼んで嫌疑者を洗おうとしたところが、うまくいった。お礼に騎手たちに五ドルずつやって、『君たちは生まれつきのガムシューだ』っていう。そういう台詞(せりふ)が『黄金の馬丁』の題名にひっかかって味があるんだろうと思います。じつはそういうふうにスティーブン・マーカスはハメットを賞めているんですけれど……」ところが、競馬の騎手など作品のどこにも登場しないし、題名のThe Golden Horseshoeとはメキシコのティファナにある〈黄金の馬蹄酒場〉を意味している。


つまり植草氏は、『コンティネンタル・オプ』を読まずに、『コンティネンタル・オプ』に関する書評を(それもまちがって)訳しながらハードボイルドを講義しているのだ。


これだけを読むと、確かに植草はトンデモなくいい加減なライターに思えてくる。しかし、状況を整理してみよう。


この各務が批判している部分は、上で説明した第3章「ちいさな教室で10回もやった探偵小説の歴史の講義」の、第7回「スパイ小説とその陣営」の後半部分である。
この「講義」は、毎回、未翻訳の海外のミステリ史の本を準備し、それに沿って重要な作家を説明している。そして、終わりの部分で「おまけ的な脱線」があり、その日の講義とは直接関係ない、植草が好きな作家についてのエピソードを、おもしろおかしく紹介している。


この回の講義では、アンブラーからフレミングに至る、イギリスのスパイ小説作家を紹介。そして、後半の「脱線」部分でハメットの話題が出てくる。

この11月にこの「コンティネンタル・オプ」がスティーヴン・マーカス編で新しく出たときに、ニューズウィークの批評を見ると非常に評判がいいわけです。
(略)
そうしたらロジャー・セールというハメット・ファンが出てきまして、これも批評家として一流で、いいことを言っているんですが、読み出したところが、マーカスの奴なにを言っているんだいっていうような書きかたをしているんです。ハメットという作家は非常にいいところと欠点があるわけでして、そのために読み方とか解釈の仕方が非常に違ってくるらしいんです。
(略)
ニューズウィークに出たハメットの本の見出しを書きますと「生まれつきのガムシュー」となっておりまして、ガムシューというのは、じつはぼくはまだ知らなかったのですが、ゴム裏の短靴という意味はわかりますが、音をたてないで歩くという形容詞になりまして、それから俗語になってディテクティヴ、探偵、刑事っていう意味になってきます。
(略)
その中から選んだ七つのうち特に傑作だというのが「メイン・デス」と「黄金の馬丁」です。この二つは今読んでも傑作だ、アメリカはこの時代と変っていないんじゃないかって褒め方がしてあるわけです。
(略)
「メイン・デス」というのがニューズウィークに簡単な筋書きが書いてあるのと同時に、ニューヨーク・レビューでももう少し詳しく書いてあるんです。
(以降、「メイン・デス」の内容説明。略)
もうひとつの「黄金の馬丁」というのは、ある事件があって、競馬の騎手4人に頼んで嫌疑者を洗おうとしたところがうまくいった。お礼に騎手たちに5ドルずつやって「君たちは生まれつきのガムシューだ」っていう。そういう台詞が「黄金の馬丁(引用者注:ホースシュー)」の題名にひっかかって味があるんだろうと思います。
じつはそういうふうにスティーブン・マーカスはハメットを賞めているんですけれど、
(略)
しかし、ここでマーカスが選んだ7つの短編はむしろ愚作の部類に入るんだ。もしこれからハメットを読む人が、こんな7つを読むといったいどこがいいんだって思うだろうとロジャー・セールが書いているんですね。
(この後、ロジャー・セールは、「ブラックマスク」時代のオプ物は、ピストルがやたらに登場して、文章もよくないと言っている、という説明。)
こんなのを読むとアメリカにも一癖ある人間が多いなあと思います。

コンチネンタル・オプ (1978年)

コンチネンタル・オプ (1978年)


この植草の文章だけでは、まだ「ヒドイ」だろうか。
それでさらに、このハメットの短編「黄金の馬丁」を読んでみた。
確かに、この話は「黄金の馬蹄酒場」が登場する話であり、競馬の騎手など登場しない。だが、オプが競馬をしたあとに立ち寄った、競馬場付属のカジノの中で、4人の人物に5ドルずつやって、嫌疑者を調べさせ、「君たちは生まれつきの刑事(ガムシュー)みたいだな」とオプが言うシーン自体はあるのだ。(このことを、各務は意図的に書いていないため、植草がことさらに、ひどいミスを犯したように感じられてしまうのだ)
各務の批判の仕方だと、植草は「黄金の馬丁」という酒場名を、競馬と勘違いしてしまった、ボンクラきわまりない人物にとれる。だが、競馬場のそばにあるその酒場名は、当然ながら競馬に由来しているのだろうし、競馬というキーワードは頭に残るようにできている。

どうして植草は「競馬の騎手が出てくる」などと、間違えてしまっただろう。
「書評をまちがって訳し」ても、こんな間違いはおきないだろう。「ニューズウィーク」の書評の題名「生まれつきのガムシュー」は、もちろん名無しの探偵オプのことを示している。おそらく書評の中では、「黄金の馬丁」の中にこのキーワードが出てくるという説明があったのだろう。それを受けて植草の中で、「ガムシュー」と「ホースシュー」との類似から、この作品に「競馬の騎手」が出てくるというはやとちり・思い違いが起きたのだろう。


これは確かに間違いだが、各務が指摘するような「書評を間違って訳した」わけではないだろう。「メイン・デス」のあらすじが書評に書いてあったとあるが・・、「黄金の馬丁」についてはそう表現されていない。刊行されたハメットの作品集(英文)自体を植草は読んで、その内容を「講義」する際に思い違いしていたのだろう。


多少のメモが用意してあったにしろ、その場でしゃべる講義である。この程度の思い違いがあっても仕方がない。そして、この話の主題は、「ハメットの作品にも、色々な評価をする人がいる」という内容である。


そう思って、植草の文章全体を読んでみると。
各務が指摘した間違いは、それはないことに越したことはないが、あっても、全体の論旨の邪魔をしないレベルのケアレスミスだと感じるのだ。
もちろん、植草(もしくは編集者)が気がついて直すのが理想だが。


またさらに1点。
各務の批判文では、植草の文章を批判しながら引用する際の最後に、「じつはそういうふうにスティーブン・マーカスはハメットを賞めているんですけれど……」とあるが・・。ここにも、各務の悪意が感じられる。
上記の、私が引用した植草の講義の流れを読んでもらえばわかるが、「『黄金の馬丁』の題名にひっかかって味があるんだろうと思います」と、「じつはそういうふうにスティーブン・マーカスはハメットを賞めているんですけれど……」との間には、改行がされている。


「味がある」という所でいったん話は終わっており。その後は改行がされて話題が転換され、マーカスとセールとのそれぞれのハメット観の違いの話になっているのである。
各務の引用の仕方だと、植草の間違いを含む文のつぎに、「『そういうふう』に誉めているんですけれど」という文が書かれているように読め、より植草の間違いが罪が重く感じされるようになっているのである。
(この検証。次回に続く)
★→http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20091007#p4


ただし、先に結論めいたものを書いておこう。
SerpentiNaga氏が

久しぶりに憶い出したそのエッセイ中に展開されている批判のパターンが、<唐沢俊一検証ブログ>で繰り返されてお馴染みのものと不思議に似通っている

と指摘したのは正しい。


だが、植草甚一唐沢俊一には、やはり大きな違いがある。
それは、植草の文章の間違っている部分を読んでみても、唐沢のガセ・パクリを知った時のようには、腹はたたないということだ。


もともと、あまり植草好きではなかった自分でも(「どこまで他人の意見で、どこから氏の意見がはじまるのか判然としないという特徴」の文章が苦手だった)。
『ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう』は楽しく読むことができた。偉そうな言い方になるが、ミステリという縛りがあると、植草の文章にも、かなりシマリが出てくるようだ。


なにより、唐沢の著作から濃厚に感じられる、「オレはこんなに色んなことを知っているんだぞ」という自己主張や臭みが、植草の文章からはまったく感じられないのが大きい。唐沢俊一が批判されているのは、その「おおげさな自己宣伝」と「実態」とが、あまりにもかけ離れているせいがあるのだ。


確かに、植草の著作を検証していくと、他にも間違いが出てくるかもしれない。
だが、彼の文章からは、自分が面白いと感じたことを、読者にぜひとも共有して欲しいというストレートな気持ちが、ひしひしと伝わってくる。それが彼の文章の一番の魅力なのだ。