1979年の「各務三郎による植草甚一のテキスト批判」の検証(前提)

先日来の「宿題」になっている事項を、ようやく実施。まずは、前段というか、今回の経緯について整理。


(1)唐沢俊一検証blog(2009年9月24日コメント欄)での藤岡真氏とSerpentiNaga氏とのやりとり
http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/comment?date=20090924#c

藤岡真
唐沢俊一は大いなる勘違いをしているのでしょうね。自分の立場、もっと言ってしまえば「分際」というものを全く勘違いしている。今回のお話だって、手塚治虫植草甚一が書いたのであれば(パクリは問題外ですが)、全く問題はないのです。

SerpentiNaga
横からごめんなさい。
>藤岡先生
現在唐沢俊一に代表される「サブカル畑のインチキおじさん」の系譜を辿ってゆくと植草甚一にぶち当たるのですが。
各務三郎による植草甚一批判をご存じないですか(<EQ>誌1979年3月号「独断と偏見」)。まるで時を超えて唐沢を批判しているかのような面白いエッセイです


(2)愛蔵太氏が、「EQ」1979年3月号の書評コラム「独断と偏見」のテキストをアップ
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20091003/kagami

確かにこれは、時代が時代なら「植草甚一検証blog」ができてもおかしくないレベル。


(3)SerpentiNaga氏が(2)のテキストアップに関連して、今回の問題提起の経緯を発表。コメント欄で藤岡氏が反論。
http://d.hatena.ne.jp/SerpentiNaga/20091004/1254682233

久しぶりに憶い出したそのエッセイ中に展開されている批判のパターンが、<唐沢俊一検証ブログ>で繰り返されてお馴染みのものと不思議に似通っていることに気づき、これは面白い、ぜひとも近ぢか紹介せねばなるまいと機会をうかがいつつ、こんにちまで至ってしまった次第。

これは藤岡先生に限ったことではないのだけれど、どうも唐沢俊一なる存在が、自分とは全く無関係な、どこか知らない暗くて汚くて臭い領域から勝手に涌いて来たもののごとく思いこみたがる人たちがいるようだ。でもそれは間違っているのではないか。彼は我々のあながち知らないでもない道を辿ってきたのであり、その道を踏み固めた先人たちの中には、植草甚一氏という「歴史的偉人」も確かにいたはずなのだ。

藤岡真
わたしが申しているのは、そんな昔の記事をなんで今更持ち出すのかということです。存命中に各務氏は名指しで批判して偉いと持ち上げながら、あなたは死後30年もたってから「サブカル畑のインチキおじさん」なんて決め付ける。自分自身で検証したならともかく各務氏の記事の受け売りで。無知で知りませんが、あなたがこの各務氏の記事に触れて以来、ずっと植草批判を続けてきたというなら別ですが。

以上の経緯を受けて、各務の植草批判がどこまで本質的なものなのか、私なりに検証を試みてみよう。
http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20091006/p3