図書館本、読了。古代から現代までの、日本の「代表的な霊能師30人」の人と業績を紹介しながら、現在のオカルト・ブームの源流がどこにあるのか(古来からあるものではなく、根は近代にあるものが多い)を説く。
紹介されている霊能師は以下のとおり。
卑弥呼
聖徳太子
役小角
空海
多治比奇子
- 陰陽師をシステム化した。
- 法華経は大乗仏教の中心的な経典。他の経典では救われないと書かれている人も、救われると繰り返し書いてある。
- 法華経は大変ドハデなイメージがたくさんでてくる経典で、そのため、石川英輔は「SF妙法蓮華経」というSFを書いた。
- 怪談「累が淵」で有名な、累の霊を鎮めた。また、水子供養をはじめた(堕胎した胎児に戒名を与えた)。
- 将軍綱吉の母・桂昌院(「生類憐みの霊」の推奨者)の帰依を得て、出世。死後に祐天寺が建てられる。
- この時期に、化け物、幽霊のキャラクター化が起きた。
仙童寅吉
- 平田篤胤が研究対象とした、「天狗界で修行してきた子供」。
- 気合で人の病を治す「気合術」を起こす。無資格医療行為で何度も訴えられるが、「痛みなく、虫歯を抜く」という技を披露して、毎回無罪。
- 虚空から「神水」を引き出して、病を治した。
- 熊岳同様、裁判にかけられたが、無罪となった。その「検証」の方法は、空っぽの容器を持って年恵が別室に行き、戻ってくると容器に水が入っていたというもの。(小便したに決まってるよ、そりゃ!!!)
- 人間の肉体と精神とをともに構成する「霊子」という概念を提唱。
- 「霊子」は、アメリカにわたり、「レイキ」という概念になって逆輸入された。
- 「手かざし」の元となるような治療を行っていた。中国の外気功もその影響と言われる。
- 「霊的国防論」を唱え、三島由紀夫に影響を与えた。
- 念写実験を何回も行ったが、「当日に課題が提出された場合その通りのものが写ることはなかった。事前に三田が写すものを発表した場合はそのとおりの結果が出た」。(手品だね、こりゃ)
- 生長の家の教祖。
- 著書「生命の実相」により、相対性理論により、「物質はエネルギーで操作できる」という概念、「波動」という概念を提唱。
- ポジティブ・シンキング(欧米では「ニューソート」というらしい)が強い。
- GLAの教祖。
- 過去世・守護霊・指導霊という概念を提唱。新・新宗教の元祖的存在。
- 死後、祥伝社から出た、娘による「真創世記」三部作を実際に執筆したのは平井和正である。
- 2003年にニュースになった「白装束集団」(千乃正法会)の教祖はGLA出身である。
- 大川隆法の著書の内容もGLAの影響を受けている。
- 本職は詩人で、皇后様が彼女の詩のファン。
- 幼いころから予知能力を持っていた。ドラマ化された自伝「海のオルゴール」も、霊的な世界を見てしまう人と、現実しか見ない人との葛藤がテーマだったが、ドラマ化時にはそのテーマはカットされた。
- 彼女があれだけのスターになったのは、テレビにとって使いやすかったから。つまり、彼女の「霊能力」は、物理的トリックを使用するものではなく、本人の下調べ、パフォーマンス能力、カウンセリング能力で説得力を持たせる物。その後の「テレビに出る霊能者」の原型的存在となった。
- 「霊能者」には珍しく、金銭的トラブルはまったくなかった。
その他、面白かった点をメモ。
- 明治維新の際、明治天皇は崇徳上皇の霊を鎮めるために勅旨を派遣した。
- 明治10年、西南の役の際、戦死者の姿が写真に写ったという噂が立つ。さらに二年後、三田弥一が「日本最初の心霊写真」の撮影に成功。
- それにより、「特殊な技術・能力によって霊が見える」という概念が発生。
- 井上円了の「妖怪学講義録」について、明治天皇から献上しろという命令が。
- 1928年、世界心霊学会議がロンドンで開催され、福来友吉、浅野和三郎はコナン・ドイルと会った。
- 1929年、雑誌「主婦の友」に「霊界通信」という「読者による霊体験談」が連載開始された。だが、これは、作家・山中峯太郎によるフィクション作品だった。
- 1935年、「神日本」という雑誌が創刊され、軍人、官僚、政治家まで同人になっている。戦中は、「霊媒によりヒトラーとルーズベルトの生霊を呼び出す実験」も行われた。
- 1973年、「植物が話すことができる」という説をもとに、サボテンとセルスターズ(「ハチのムサシは死んだのさ」でヒットしたグループ)との合唱実験が行われた。
- 五島勉は池田大作の伝記を書いたり、著書の端々で法華経を褒め称えるなど、創価学会員の可能性がある。
- 中岡俊哉は若い頃中国に行き、八路軍に協力した関係で、1959年ごろまで中国にいた。そのため、初期は中国の実情についてのルポを書いていた。
- 初代・引田天功の「ゾウに催眠術をかける」ショーは、麻酔銃を使ったそう。