吉田司の小川紳介批判@『ノンフィクションを書く』藤吉雅春

http://plaza.rakutenco.jp/eugene/diary/200801280000/
上記の場所で、『ノンフィクションを書く』での吉田司へのインタビューの中身が引用されていて、その中に、小川紳介への痛烈な批判があったので、孫引き。

(吉田は大学在籍時より小川プロダクションに所属*1)
 ところが、映画運動といっても実態は泥棒運動。仲間の親たちからカネを巻き上げたり、全国の大学に行っては「カンパを出せ」と言って自治会を荒らし回る。デモでブタ箱にぶちこまれた学生の保釈金を自治会から横取りして、フィルム代に当てていたんだからね。おれも早稲田大学からの特別奨学金をもらっていたけど、それも小川たちが待ちかまえている。そのカネでメシを食う。”飢えたブタ”みたいな時代(笑)。結局、運動といってもやっていることは泥棒みたいにカネを奪い集めているだけだった。
〜略〜
 今、小川紳介は記録映画の世界で偶像視されているけど、彼は盗賊団の親玉みたいなもんですよ。カメラマンや専門スタッフは岩波映画から連れてきた人間にやらせる。俺たち学生は、カネ集め、宿舎造り、メシ炊き。映画ができると、上映運動に走る。そして毎晩、査問。「最近、カネ集めが悪い。それはお前らのプチブル精神が問題だ」と徹底的に追及して絶対に寝かせない。スタッフが作業を休んでガールフレンドに会っていようものなら大変だ。その女性のところへ行って、「あいつはお前といるとダメになる。別れろ」。そうやって徹底的に追いつめてカネ集めさせるんだ。連合赤軍やオウムとあまり変らん。さんざん奉仕させられてポイ捨てにされるんだから。
〜略〜
 三里塚映画は端的に言うと、小農民賛歌なんだ。小川が描く”おおらかで思慮深い、戦う農民像”が嘘八百に思えて仕方がなかった。小川の実家は大地主で、小川のそういった手放しの小農民賛歌は、大地主の孫としての贖罪意識から発しているのは明らかなんだよ。
 一方、俺は山形農民の村社会の閉塞感に耐えられず、山形を捨てた男だよ(笑)。農民の野卑な暗黒世界をよく知っているわけ。俺の実家は「一銭店」と呼ばれる貧乏な雑貨屋だったけど、毎晩、酔っぱらったムラの農民たちがドカドカと茶の間まで上がり込んで、飲めや歌えの卑猥な宴会踊りをやるんだ。俺の母親に抱きついて、夜の町に誘おうとする。俺の親父は身体障害者で両足が不自由だったから、何もできずにじっとしているだけなんだよね。俺は無力な親父を軽蔑していたけど、そうした身障者の家庭から快楽の種を貪りとろうとする農民や封建的なムラの風土が大嫌いだった。それで俺の中には一貫した農民への嫌悪感や、日本人の原像とつながっている農村共同体への反発があったんだ。
 ところが、戦後、日本の記録映画のつくりあげた伝統は、みんな農民万歳、労働者万歳だ。それを支えてきたのが小川のドキュメンタリー作法でもある。匿名性のもとに好き勝手やっている農民連中の闇の世界を小川は一切描かない。