小谷野敦「リアリズムの擁護−近現代文学論集」(新曜社 asin:4788510901)

図書館本、読了。


表題論文は、従来「西洋には本格小説がい多い」と言われていた西洋文学にも、いかにモデル小説が多いかなどを論じて、「題材や経験なくして、リアルな小説を書くのが、いかに困難か」を論じている。


他に、大岡昇平が「井上靖海音寺潮五郎歴史小説」を批判したのは、彼が左翼で「民衆史観」の持ち主で、井上や海音寺の小説が「ヒーロー小説」だったから、という目ウロコ指摘もあったりして、面白い。さすがの大岡も、司馬遼には「事実の間違い」を見つけられなくて、ケチの付け所がなかったとか。


その司馬遼太郎については、「彼の女性像の貧困」を書いていて。
まあ、「女らしい女性を描く」ことにはあんまり興味がなかったんでしょうねえ、司馬センセ。坂本竜馬の「おとこまさりの姉」なんかは、精彩あったなあ。
小谷野先生は、「司馬小説に出てくるような女は、私の研究では昭和30年代にしかいない」というが・・。でも、「みどり夫人と再婚する」際、既に別れていた前の奥さんに見てもらって「どうかなあ? 君に判断してもらいたいんだ」と聞くような人だから、女性については、かなり妙ちくりんな人だったと思う。


それから、江戸川乱歩を論じた論文で。乱歩が谷崎潤一郎の作品を元に、さらにエンタメ化作品を発表したら(「パノラマ島キタン」など)・・。谷崎は、同類嫌悪的にそれを嫌がって「元の作品を全集等にいれなくなった」というのも、谷崎の伝記を書いた人ならではの指摘。
ちなみに、乱歩が死んで、2日後に谷崎が死んだという「奇遇」は、小谷野先生がお嫌いな、小林信彦も「小さな巨人であった、乱歩ならではの奇遇」と、指摘しています。
あと、「乱歩で、文化史的に評価すべきなのは、通俗作品での『身分の低い男が、貴婦人を辱める』というパターン」とあって、「だが、このパターンの、文学史的系譜がわからない」とありますが・・。これは、松村喜雄が「怪盗対名探偵 フランス・ミステリーの歴史」で紹介した、19世紀のフランスの通俗サスペンス「ロマン・フィユトン」の影響ではないかと思います。黒岩涙香が随分、翻訳したやつです。