村松友視「ヤスケンの海」(幻冬社文庫 ISBN:4344406486)

図書館本、読了。雑誌『海』で同僚編集者だった村松が描いた、「天才ヤスケン」「スーパー・エディター」こと、安原顯の評伝。


まず、ヤスケンが『海』編集部にやってくる事情からして、面白い。
ヤスケンは小出版社・竹内書店からの、「異例の入社」だったのだが。その理由は。村松が当時の『海』編集長と対立し、異動願いを出したため、安原が「代理要員」としてスカウトされたのだった。
だが、村松は入社した安原と親しくなってそのキャラを把握し、「こいつを、一人で放置してはまずいことになる」と考え、「異動願い」を撤回したのだという。


この「対立した編集長」が初代で、有名な塙嘉彦編集長は4代目だとか。それで、この人は、東大仏文での大江健三郎の親友なのに・・。その編集長が来てすぐヤスケンは、「レコード芸術」誌の連載コラムに大江を罵倒する文を書き、大江から、中央公論社の社長あてにクレームの手紙がくる騒ぎになっている。


とまあ、そういう「いい加減でアバウト」だけど「文学や音楽には真摯な人」ヤスケン
それを象徴するのが、次のエピソード。ヤスケンは髭をはやしいたが。その理由は、太った体形が「おばさん」的で。ある時、すれちがった女子高生に「今のおばさん、おじさんみたいだね」といわれてショックを受けたからだという。「こういう、本質的な解決になっていない、安易な方法が実にヤスケン的なのだ」と村松は書いている。


それと印象的なのは、ヤスケンが学生時代に同棲して、後に結婚した、ひとつ年上の「筑土まゆみ」という奥さん。この人の父親は、僧にして宗教民俗学者筑土鈴寛という異色の研究者だったらしく、「この、まゆみさんのほうが、ヤスケンよりずっと、スケールの大きな人物」と村松は、ベタボメで書いている。
この「筑土まゆみ」未亡人、武田泰淳がなくなったあとの武田百合子みたいに、文章書かせたら、いい文章書くんじゃないかなあ。


ちなみに、村松は『海』時代に「富士日記」の担当者で、塙編集長、ヤスケンら「海編集部一同」で月に一度、「百合子さんを慰める会」と称して、武田百合子宅を訪ねて歓談していたのだった。