谷啓「七人のネコとトロンボーン」(読売新聞社 asin:4643950943)

図書館本、読了。95年に連載された、谷啓の自伝。小林信彦も書いていたが、谷啓って、すごい変な人だね。
基本的に「照れ屋ではずかしがりやで気が弱い人」なのだが、それを嫌って「逆に度派手に走る」性格もある。すごく矛盾した人。


あと、「吉田ルイ子といとこ」というのは、知らなかったのでびっくり。クレージーのメンバーでアメリカに行ったとき、吉田にハーレムを案内してもらったらしい。それで度胸がついて、以降のアメリカ旅行でも、他のメンバーが「危ない」といってホテルに閉じこもっている夜に、単独でニューヨークの町をウロウロし、犯罪者に襲われかけたりしている。

  • 子供の頃は、幻覚や幻聴の症状があり、夜に月が二つ見えたり、天井が膨らんで落ちてくるように見えたり、夜中に「ゴムまりを突く音」や「泥棒の足音」が聞こえたりした。
  • 非常な恥ずかしがりやながらサービス精神のある子供で、「お手伝いさんを驚かそう」と、硬くなった犬のフンをかじったことがある。また、小学生時代は、級友の前で落語を演じていた。
  • ハナ肇のあだなは「ハナちゃん」だったが、谷啓は他人を「ちゃんづけ」で呼ぶのが恥ずかしく、口笛で「スィー・スィー」と吹いて、ハナを呼んでいた。
  • テレビに出演するようになってから、友達から「音楽をやっているのなら、和声学を勉強したほうがいい」と助言され、多忙の中、音楽学校の通信教育で勉強し、4年かけて卒業した。
  • 妻はペギー葉山の元マネージャー。長年交際しても、恥ずかしがり屋の谷が一向にプロポーズしないため、夫人の側からプロポーズした。
  • 1968年に三鷹市に家を新築したが、1969年火事になり全焼。谷はこの時、「火事のシーンをビデオに撮りたい」と、わざわざ家にひきかえし、ビデオカメラを持ち出したが、フィルムが肺っていなくて、取れなかったという。また、当時は麻雀に熱中していて(メンバーは、小野ヤスシなべおさみ人見明など)、焼け跡に麻雀牌が残っていたことから、焼け跡で麻雀を打った。
  • 火事の後に建て直した家は、玄関から全部屋に音が流れるようになっていて、谷が深夜に帰宅すると「ただいま帰りました、起きている子供は集合するように」と放送して、子供たちを集め、思うがままの空想やひらめきをアクションまじりで話し、子供たちと夜中に大熱中していたという。
  • 車はずっと外車に乗っている。一時は、ど派手なサンダーバードばかりに乗っていた。