岡崎次郎「マルクスに凭れて六十年―自嘲生涯記」(ASIN:B000J7A5JU)

図書館本。未読了だが、他区から取り寄せてもらっている本で、借り出し期限をもう過ぎているので、とりあえず、返却することにした(382ページ中、134ページまでしか、読めていない)。
これは、以前も書いたが(http://d.hatena.ne.jp/kokada_jnet/20070513#p1)、あまカラさんがアマゾンのレビューでほめていて、それで読んでみた本。
ちなみに、呉智英先生の近著「漫画狂のつける薬 上意下達編」でも、この本、とりあげられていた。


岡崎次郎マルクス資本論」を翻訳した経済学者。晩年、奥さんと二人で「死出の旅」に出て、消息不明になったことでも有名らしい(お二人で、死体も出ない場所で、自殺されたんだろう)。


だが、この人、クソ真面目な人ではなく、かなりいい加減な人なのである。「勉強をする時は猛勉強する」が「遊びも徹底してやる」という人。
実家はそれほど裕福ではなかったが、知り合いの裕福な未亡人の養子になり、その資金で、東大の哲学科を出たあと、今度は経済学部に入りなおしてを卒業。それから、数年、就職もせず、たまたま知り合った向坂逸郎の紹介で、経済研究書の翻訳など多少しながら、ふらふらと高等遊民生活を続けていた。


岡崎の学生時代の友人で、労働者の組合活動を組織し、警察の拷問で殺害された人物など、「彼(=岡崎)は、一種の虚無主義者だろう」と言い残している。そんな人が、後に「資本論」の代表的な翻訳家となるのだから、面白いものだ。


養子となった未亡人についに愛想をつかされ、離縁となる。そこで、岡崎が拾われたのが東亜経済調査局(満鉄調査部の関連組織)。その間にも、二・二六事件や、日独防共協定が結ばれるのだが、このへんはサラっと流している。やはり、かなりいい加減な人だ。
この東亜経済調査局への就職の橋渡しをし、親友ともなった、小森新一という怪人物が出てくるのだが、この人物は戦後、なぜか陶器を焼くようになり、陶磁器協会の理事までつとめたとゆう。これまた変わった人物だ。


このあと、岩波文庫資本論」の翻訳を向坂逸郎と共同で引き受けたはずなのに、ほとんど岡崎が翻訳を担当することになりながら、訳者名は向坂の名前しか出なかったとか、そういう話になるらしいが・・。
それは、次回、この本を借りた機会に感想を書くことにする。
(古本を買って読もうかとも思ったが、「スーパー源氏」にも、「日本の古本屋」にも、登録がなかった。呉智英先生効果で、買った人がいるんだろうな。呉先生の本が出る前に、買っておくべきだったか)