羽仁五郎+羽仁進「父が息子に語る歴史講談」(文藝春秋 ASIN:B000J7GKB2)

図書館本、読了。羽仁進による、羽仁五郎の人生と学問についてのインタビュー的対談。この本は83年2月刊行で、同年に羽仁五郎は死去しているから、最晩年の対談ということになる。


いくつか、気になった点を。

  • 羽仁五郎が育った、桐生の町は「都市」だった。それが後の「都市の論理」につながった。
  • この本の中では、インタビューする、という関係上、羽仁進がハイデッガーやカントについて語っている。彼がこういう話をするのが珍しい。
  • ドイツ留学時代に、羽仁五郎三木清ミュンヘンのホテルに泊っていたら、「ヒトラーという男が未亡人たちを扇動してデモをやっている」とボーイに聞かされた。
  • 今日出海の「三木清における人間の研究」の三木清像は、羽仁五郎的には不満がある。軍に徴用されてフィリピンにいった際、三木は「女も安く買えて、こんないいところはない」と皮肉でいった。それを、今は本気でとってしまったという。
  • 羽仁五郎が戦前、共産思想で留置所に入れられると、朝鮮人労働者が多数入れられていた。彼らは、昼間あまりに激しい労働をさせられたため、モルヒネを打って働いていた。
  • 羽仁進はスパイ小説がとても好きだった。だが、スパイ小説の舞台が、ナチス・ドイツというのがあまりに多くて、コミュニストを主人公にしたスパイ小説を誰か書いてくれないかと、不満に思っていた。
  • 羽仁五郎は「明治維新の本当の原動力は百姓一揆だ」と主張した。「大仏次郎司馬遼太郎も、半分くらいはボクの理論を採用している」(これ、ホントか?? 違うと思うけどなあ)
  • 羽仁五郎は、ヨーロッパのルネサンスの原動力も農民と考えていた。(これもホント?? ルネサンス時代にトッキーニという百姓一揆みだいな運動があったことは事実らしいが・・)
  • レーニン第一次大戦のロシアの敗戦時に「革命」を起こしたように、第二次大戦の敗戦時も「日本共和国」が宣言されることを、羽仁五郎は期待していた。
  • ソ連の、イリヤ・イリフ+エウゲニー・ペトロフの共著『十二の椅子』『黄金の仔牛』な、二十世紀の風刺小説でも屈指の傑作(進)。だが、スターリンは彼ら二人を独ソ戦の前線に送り、二人とも戦士した(五郎)。
  • 進たち三人が子供ころ、彼らの前で、五郎はサックス・ローマーの「フーマンチュー」を朗読した。フーマンチューは義和団の乱の生き残りであるため、羽仁五郎は共感を持っていた。
  • 羽仁五郎は「売春禁止法」に反対した。それは売春婦の、その後の職業問題を考えていない法案だったため。
  • 群馬県は売春婦がいない珍しい県だった。なぜなら、桐生に機織工場があって、女が機織りで自活できるため。
  • 岩波茂雄は敗戦工作にからんでいて、羽仁五郎は彼に頼まれて、牧野伸顕幣原喜十郎に会って、連絡役をつとめた。
  • 谷川徹三が、谷川俊太郎が初めて詩を書いた時、わざわざ三好達治に見せた。三好はなかなかじゃないか、と褒めた。その話を聞いた羽仁五郎は、「こういう関係では日本は絶対に解放されない」と絶望した。
  • 羽仁五郎は、テレビタレントでは、山城新伍が好みで、タモリは嫌いだった。それは、山城なら天皇制に反対しそうだったから。(この直感は合っているような気がする)
  • 羽仁五郎参議院議員になった際、参議院議長に、当時、部落解放同盟・中央委員長の松本治一郎を推した。が、実際は、副議長にとどまった。(それでも、今から考えると、スゴイことだけど)
  • 「世界平和評議会」という会議が、1952年にウィーンで開かれて、ジョリオ・キューリー郭沫若フランツ・ダーレムイリヤ・エレンブルグ等が集まった。羽仁五郎も参加したが、米ソ冷戦に巻き込まれて、成果は得られなかった。
  • 「都市の論理」は、原子物理学者の武谷三男らとの研究会から生まれた。
  • 「文明も自然の一部であるのだから、原子物理学は、自然の破壊を止めるよう、研究を進めていかなければならない。唐木順三のいうような、江戸時代の暮らしにもどるエコロジー生活など意味がない」と、羽仁五郎は考えていた。いやー、これぞ、マルクス主義者!!