訃報 土本典昭

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<訃報>土本典昭さん79歳=「水俣」描いた記録映画作家


水俣の図・物語」など水俣を描いた多くのドキュメンタリー映画を製作した記録映画作家土本典昭(つちもと・のりあき)さんが24日、肺がんのため死去した。79歳だった。葬儀は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は妻基子(もとこ)さん。


岐阜県生まれ。学生運動早大文学部を除籍後、岩波映画に入り57年からフリー。羽仁進監督の助監督などを経て、63年に機関士と機関助士の一日をドキュメントした「ある機関助士」でデビュー。京大全共闘の学生を撮った「パルチザン前史」や「シベリヤ人の世界」などで「社会派」監督としての地位を築いた。


65年以降、「水俣−患者さんとその世界」「水俣一揆−一生を問う人びと」「不知火海」といった水俣病をテーマに17本の記録映画を製作。「水俣の図・物語」で毎日芸術賞(81年度)を受賞した。他に、原子力船「むつ」の母港建設で揺れる漁村を取材した「海盗(と)り−下北半島・浜関根」など。ソ連撤退後のアフガニスタンをルポした作品でも知られた。

◇人間の目を忘れず
▽羽仁進監督の話 プロの映画監督になると人間の目で作品を作ることを忘れがちだが、土本監督は最後の最後まで人間の目を忘れず、さらに深めていった。「水俣」ものは傑作。土本監督は患者さんを撮影対象としてではなく、同世代の人間として見ていた。