小谷野敦編著「翻訳家列伝101」の「推理・SF小説の翻訳家」で気になる箇所

上記の本は、まさに史記の「列伝」のような筆致で、翻訳家たちの数奇な人生や、日本における翻訳文化の様相を描いた、面白い本だが(特に「児童文学の翻訳家」の項を設けた点は、賞賛すべき)。
だが、「推理・SF小説の翻訳家」については、著者が、あまり強い分野ではないかと見受けられ、何点か気になる記述が目についた。それを以下にまとめてみた。

  • P.201 「一方東京創元社は、それまで試験的に出したことのあった創元SF文庫を、1992年に本格的に始め、早川と肩をならべた」
    • こちらに、担当編集者の厚木淳へのインタビューがありますが(http://www.princess.ne.jp/~erb/sf_izm.htm#)。1963年に「創元推理文庫のSFマーク」としてスタートし、それから数百冊を刊行したものについて、「試験的」という表現はそぐわないかと思います。
    • 実態としては、「始めた」わけではなく、それまでに「推理文庫SFマーク」で刊行されたものを、カバーを変更して「創元SF文庫」として出しなおしをしています。
      • SFが推理小説の一分野であったなごりで、「創元推理文庫の中のSFマーク」という変則的な状態だったものを、1992年に正式に「創元SF文庫」と模様替えした。ということかと思います。
  • P.205 宇野利泰の項 「小林信彦の『虚栄の市』のモデルといわれ」
    • これでは宇野をモデルとした人物が『虚栄の市』の主人公と思われるかと・・。『虚栄の市』の主人公のモデルは小林信彦自身です。宇野がモデルになっているのは、脇役であるゴシップ狂の老紳士・蓮池教授です。そのような「マイナスのイメージの人物」に造形されていたので、宇野が気にしたのです。このことは、宮田昇の本にも書かれているかと思います。
      • 「『虚栄の市』の登場人物のモデルといわれ」とすべきかと。
  • P.215〜216 福島正実の項 「しかし44年、『SFマガジン』に、日本SFの現状に関する匿名座談会が載り、そこで批判されたSF作家たちのうち、小松、豊田、山野浩一らが、匿名は卑怯だとし、抗議してきたため」
    • 山野浩一はこの文には該当しません。WIKIPEDIA「覆面座談会事件」にもあるとおり、この座談会では山野浩一は批判されておりません。(批判の対象になるほどの本格的な作家活動をまだ、行っておりません)
    • WIKIPEDIAにあるとおり、この覆面座談会に対するSF作家たちの反発を受けて、福島は「SFマガジン」に、山野による、既存SF作家たちへの批判的論文「日本SFの原点と志向」を掲載させています。こちらのサイト(http://speculativejapan.net/?p=32)の「註⑦」も参照ください。
  • P.220 清水俊二の項 「アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』は、なぜが清水の訳が今でも読まれている」
  • P.221 矢野徹の項 「ロバート・ネイサンなど海外文学」「アリステア・マクリーンコーネル・ウールリッチマイケル・ムアコック、デズモンド・バグリイ、フランク・ハーバートデューン』シリーズなど冒険・サスペンスものも翻訳」
  • P.224 池央耿の項 「当時人気のあったサイエンス・ライター、カール・セーガンの」
  • P.225 伊藤典夫の項 「次第に共訳が多くなっている」
    • 細かいことですが・・、この表現では誤解をうむおそれがあるかと。SFの短編集の場合、先に「SFマガジン」に個々に掲載された短編がまとめられて刊行されることが多く。その結果として、「共訳」になっているものが多いのです。これは長編作品の「共訳」とは意味が違いますので・・。