ポール・ウィリアムズ『フィリップ・K・ディックの世界 消える現実』(ペヨトル工房、小川隆・大場正明訳、91年邦訳刊行)内の不審な箇所

★こんな「東大仏文科の作家」は存在するのか?? 誰のこと? 全然、思い当たらないんだけれど。訳者が著者に問い合わせて、訳注を入れてくれればいいのに! と思った。
★「学生」と書いてあるから「作家」じゃないのか。同人誌で何か、実験的なことをやったということかな?
★「ずっと簡潔なんだ」とか言っているし、訳わからん。

P.99〜P.101

  • ポール・ウィリアムズの回想文
    • 作家と、作家が創作した人々や作品の世界との関係というテーマは、この前日の1974年10月30日の対話でも話題になった。ぼくたちは、第二次大戦後に東京大学の仏文科の学生たちが始めた複数人物の写実小説にフィルがどんな関心を持っているのかということを話していた。
  • ディックの発言
    • 私を魅了したのは、小説の簡潔さだった。(フランスの写実小説と)構造は同じなんだが、もっとずっと簡潔なんだ。これが『高い城の男』で使った手法だよ。
  • ウィリアムズの質問
    • まず、あるひとりの登場人物から書き始めて、次の章で、新しい人物を登場させ、物語の展開に沿って人物を結びつける、というようなことですか?
  • ディックの発言
    • うむ。一覧表を作ればわかるはずだ。チルダンが最初の登場人物で、田上と会い、といったように、結局かれらはみんなつながっている。だがどの登場人物にしても、ひとりが他の人物全員を知っているということはない。以前に実際に図表にしてみたんだ。
  • ウィリアムズの質問
    • 人物全員をひとつの部屋に集めるようなことはしなかったわけですね。
  • ディックの発言
    • そうだ、ばかげているからな。それじゃまるで、この日本の小説の構造に結末をつけ足そうと、登場人物を集めるグロテスクな場面を要求するようなものだ。これではその作品の大部分は、どんなふうにして彼らが一堂に集まったかを説明するためにあるようなものになる。
    • こういうことがどういうことかというと、この手法にひかれる理由とか、英米の伝統的な小説の形式にあまり関心がない理由を考えてみて、そう、まず第一に、単一の主人公という発想だな。私はこれがあまりよくわからなかった。だが、それは最終的には私にも課せられてきたものだ、他の登場人物全員をその中に含んでしまうような視点となる人物がいなければならないとね。いや、きっとそうなんだろう、ふつうはそうしなければならんのだろうがね。私が感じてきたことというのはだな、ポール、問題というのは超個人的なもので、われわれみんなに関係があり、個人的な問題というようなものは存在しないということだ。
  • ウィリアムズの質問
    • いいですね。あなたの作品にはどれも、集団の問題があって、それで、登場人物の問題がだんだんと個人の枠を超えてひとつになっていくという感じがすごく面白いんですよ。
  • ディックの発言
    • そのとおりだ。(以下数行略)
    • これは、われわれはみんな共通の運命に巻き込まれているわけだろう? まったく同一ではないが、ある種の類似性があるということだ。われわれはみんなつながっている、われわれの運命はつながっている、そういうふうに私には感じられるのだ。
    • おそらく小説家の第一の責任は、自分に理解できるかぎり、このことを示すことだと本気で考えている。作家は、ひとりの登場人物から出発し、個々の読者の考え方を乗り越えるのだ。読者たちはその人物をひとつの世界としてとらえ、他には誰ひとりとして彼と同じ問題をもつものはなく、その人物も他の人々の問題など関係ないと考えている。
    • それから、また別の登場人物に話を移し、そこに関わり合いを示す。しかし、彼らがどのように関わりあうのかを、はっきりと説明するのは難しい(以下略)。
  • 2012年10月21日追記(flistius氏によるコメント文中のリンク先のブログで言及されている、ディック・インタビュー)
  • 『去年を待ちながら』(創元推理文庫 1989年刊行)巻末の「ディック自作を語る」(BY 大森望)での記述を発見した。
    • 1984年刊行のグレッグ・リックマンのディック・インタビューより 『高い城の男』についての記述
    • ディック:「この小説の構造は、東京大学仏文科の学生たちが第二次大戦後に使った小説構造に基づいている。フランスのモデルをもとにした東洋的な構造なんだ。主流文学の構造じゃない。私がさまざまな原点からひねりだした構造だよ。」
    • (訳者注)これだけでは特定できないが、条件にあてはなる作家としては大江健三郎の名がうかぶ。他に可能性としては、在学は戦前になるが、「マチネ・ポエティーク」の福永武彦中村真一郎など。