横山剣「クレイジーケンズ マイ・スタンダード」(小学館 asin:4093637156)

図書館本、読了。500ページを超える自伝だが、剣さんなら、この二倍でも三倍でも、自伝が書けるだろう。なので、印象としては薄め。
だが、今までのインタビューで、エッセイ等で語っていた、それぞれが滅茶濃い「人生の断片」が、1つのストーリーになってつながり、横山剣という、「音楽については無意識過剰」「それ以外については自意識過剰」という稀有な人物の、波乱万丈の人生を満喫できた。


ただ、残念ながら、私が熱狂的な「CKB教徒」だったのは、アルバム「777」(2003年)まで。「Brown Metallic」(2004年)以降は、「なんか、今までのようにグッとくる曲がないなあ」と、「元ファン状態」になってしまった。
現役の「大ファン時代」に、読みたかったなあ、この本。

以下、メモ。

  • 生まれは中区の本郷町だが、物心つく年頃に本牧に移り住む。2004年から再び、本牧に住む。
  • 小学校低学年のころ両親が離婚。その後、小学生時代は日吉近辺(路上レコード屋を手伝ったのはここ)、中学生時代は横浜ドリームランド付近で過ごした。
  • 小学生時代、毎週のように土曜日の夜から、青山にある、離婚した実父の家または友達の家に泊まりにいっていた。
  • 小学生時代、離婚した実父(「田寺さん」)とロス、ラスヴェガス、ホノルルと旅行した。
  • 実父「田寺さん」は、美術学校を卒業した後、実業の世界で成功。歌がうまくて、セミプロのバンドをバックに歌っていた。水墨画も描いて個展も開いていた。インテリアのセンスなども抜群。結婚後再婚した妻も、すごい美女で、剣さんは誤って彼女をナンパしたことがある。(あきらかに、父親のDNAをついでいるね)
  • 母親の再婚相手「横山さん」は、アウトドア好きで、中一の時、一緒にキャンプに行き、「普通の家庭」に植えていた剣さんを感激させた。
  • 高校中退後は、横浜で友人と不良チーム「CHAINA DOLLS」を結成。最初は山下公園でフリマをしたりだったが、知らないうちにメンバーが増え、非合法な商売(シンナー販売など)などをもやっていた。
  • 10代の頃は、「理由もないのに、相手に喧嘩をうられる」回数が非常に多く、警察ざたになることも多かった。
  • その後、沖縄出身の友人がロスに住んでいたので、遊びに行ったら、カッコいい古着が、馬鹿のような安値で売っていたので、大量に買い付け。以降、横浜周辺で古着の商売を始める。
  • そのうち、原宿などにも商売の「遠征」にでかけたところ、クールスRCのリーダー佐藤秀光がやっている衣服店にたまたま寄る。その店スタッフが「友人の友人」だったことから、クールスのメンバーと知合いになり、その流れで「クールス」のライブ・スタッフになる。
  • クールスのメンバーは、それぞれ自分の「ブランドショップ」を持っていた。そのため、クールスRC時代、最年少のメンバーの剣さんは、全員に気を使い、各人の店の服を組み合わせて着ていた。
  • 剣さんのアパートは、「友達たちのたまり場」になることが非常に多かった。しかもその友達たちは女連れで来て、同じ部屋で横に剣さんが寝ているのにセックスを平気でする。これには参ったようだ。
  • バンド「ZAZOU」時代、香港で「なぞの台湾人プロデューサー」に会い、「あなたたちを台湾でスターにしてあげる」と言われ、そのあまりの「怪しさ」をおもしろがり、仕事を引き受ける。実際に台湾での仕事は、怪しさ極まりなかったが、台湾スターにはなれなかったようだ。
  • 本牧の米軍関係施設が撤退する時、「このままの状態を保存して、アミューズメント・スポットにできないか」と夢想した。(現実は、何の味もないマンション群になった)
  • 昭和歌謡」問題については、「『昭和にワープだ』というフレーズが一人歩きし、『昭和歌謡バンド』と決め付けられた。自分のサービス精神もあって、最初は『昭和、昭和』といっていたが、いい加減、嫌になった。オレは昭和歌謡が好きだが、その他にもグッとくるサウンドはたくさんあるし、今はヒップホップやレゲエが格好いいと思う」と書いてある。
    • でも、「昭和、昭和」と盛んに言っていた頃の剣さんって、嫌々やっていたんじゃなくて、絶対、「昭和」がマイ・ブームだったと思うんだよなあ。まあ剣さんが自分で言っていた時と、「メジャーに認知された時」とのタイム・ラグのせいもあるんだろうけれど。そういう「昭和歌謡」路線の曲も、作ろうと思えば延々と作れるんだろうが・・、まあ、飽きたんだろうねえ。
  • 子供は女の子二人「琴子」「莉子」。あえて古い「子のつく名前」を選んだ。


でも、一番ウケタ、エピソードはこれ。丁寧なんだか、何なんだか。

  • 飛行機に乗っている際、座席に座ったまま屁をこくのが迷惑だろうと、屁が出そうになるたびに、毎回、トイレにいって脱屁していた。だが、タビタビになると、通りぬける座席の人たちも迷惑顔をする。そこで、シートに尻をしずめてグッと重みをかけて屁をしたトコロ、何の問題もなかったので、以降はこの方式を採用している。