SFファン交流会「翻訳家・浅倉久志を語る」

昨夜は、エアコン故障の蒸し暑さもあって、なかなか寝付けず、3時就寝。
本日は11時起床。朝食を食べるが、眠くて再度、寝てしまう。


再び起きたのが13時。14時からの渋谷での「SFファン交流会」に行くかどうか、迷うが、妻と一緒に、思いきって出かけてみる。いつもの土曜日は、「冷房病からくる、月曜から金曜の勤務の疲れ」で休養日にしているのだが、少しは元気が出てきたかな。


渋谷駅に13時45分到着。早足で歩いて、センター街の先のほうの「大向区民会館」へ14時ジャストに到着。
出演ゲストは、中村融白石朗高橋良平大森望の四氏。その他、関係者多数出席。
途中入場可能なので、参加者はどんどん増えてきて。定員50名のところ、70〜80名くらいいたかも。


以下、箇条書きでトークの内容をメモ書き的。
(ただし、私がいたのは後ろの席で、隣の部屋でのオバチャンたちの何らかの活動のやかましさのせいもあり、聞き間違いしているものがあるかも)

  • 中村氏
    • この企画の提唱したのは中村氏。
    • 浅倉さんに初めて会った時、翻訳家の別ペンネーム研究をしていた中村氏は、まず様々なペンネームの確認及び、質問をした。
    • ペンネームは深谷節(浅倉久志の逆、らしい)、沢ゆり子(娘さんたちの名前)、牟礼一郎(牟礼は居住地)、大谷圭二、大谷善次(本名)、州浜昌宏(新人翻訳家との共同ペンネーム)
    • 80年代、新人翻訳家の翻訳を伊藤さん、浅倉さんが添削して「SFマガジン」に載せる企画があった。中村氏の翻訳を浅倉さんが添削している原稿が会場で回覧され、その繊細かつ細やかな添削ぶりに、参加者の感銘を呼んでいた。
      • SFマガジン連載の「SFエンサイクロペディア」も伊藤、浅倉の添削が入っていて、「新人リーグ」の趣きがあった。
    • 浅倉訳の「ミュータント」でのテレパシーのタイポグラフィー表現が、筒井康隆家族八景」のテレパシー表現とそっくり。筒井さんがパクったか?
    • 浅倉さんは「凝った翻訳」は嫌っていた。古英語で書かれた作品を、江戸戯作の文体で翻訳した仕事があったのだが。後にその仕事のことを嫌っていた。翻訳は空気のように、元の文と同じ呼吸で読めるのが最高と。
    • 浅倉さんの晩年に、中村編のアンソロジーで、仕事をさせてもらった。改訳した作品は、ほとんど原型をとどめていなかった。元の訳を直すより、新しく訳すほうが早いという考え。
    • 「時の娘」の収録作は、最後のページを浅倉さんに渡し忘れたので、中村氏が訳した。
    • クラーク傑作選の「無慈悲な空」は、浅倉さんのPCから中村氏が印刷したものを、収録した。
    • 地球の静止する日」収録の「ロト」は浅倉さんも好きな作品で、これは旧訳をそのまま使った。
    • ユーモア・スケッチも重要な仕事。清水義範ユーモア・スケッチの影響を受けたと言っている。
    • ジャック・ヴァンスの「旧ゲルシリーズ」を浅倉さんは気にいっていた。中村訳で刊行したい。
    • (中村さん発言か、記憶不確かだが)浅倉さんは「バラードの訳は簡単。後ろから訳せばいい」と言っていた。翻訳家と作者との相性がある。作者と同じ脳の構造だと、次にどんな文章が来るかわかることがある。
    • ベスターの「消滅作戦」が浅倉訳となっているが、実際は伊藤典夫訳らしい。どうして名義が変わったかは不明。
  • 白石氏
    • 早川書房編集部時代の思い出。浅倉さんほど、楽な翻訳家はいなかった。
    • MさんやIさんは原稿が遅かったので、少しずつ原稿を取りにいくことがあった。2軒はしごして1日が終わることもあった。
    • 疑問点などをあげると、素直に聞いてくれた。自分の訳にこだわる頑固な翻訳者の人もいるが、浅倉さんは全然違った。困った翻訳家の人の愚痴を浅倉さんに話したら、そうだそうだと、聞いてくれた。
    • 「クローム襲撃」は、オムニに普通に訳したものを、後の黒丸尚文体にあわせて、全面改訳した。
    • 浅倉さんは人気翻訳家なので、社内でも取り合いになった。リチャード・ホイトがミステリ文庫で出た際は、その調整をした。
    • ハードボイルドの仕事も忘れられないように。ハードボイルドでは双葉十三郎の翻訳をリスペクトしていた。
  • 大森氏
    • 新潮社に入った時も、先輩の浅倉番の担当編集者がいたので、自分ではなかなか浅倉さんに仕事を頼めなかった。伊藤・浅倉編のアンソロジーで、ようやく、浅倉さんに頼めた。水鏡子も呼んで(一同笑)四人で新潮社倶楽部で合宿をしたのが、いい思い出。
    • ETのノベライゼーションを断って、浅倉さんは儲けそこなったが、その後、グレムリンで少し取り戻した。
    • 「世界ユーモアSF傑作選」は実にSFファン向けのセレクションだが、ほとんど浅倉訳は入っていない。浅倉編だとそうなるのだが。浅倉編・浅倉訳だと、「どうしてこんな作品を浅倉さんが訳するんですか?」と理解できないものが、出てくることもあった。
    • 村上春樹にも影響を与えたのでは(中村氏が、村上春樹は「原文を読んで影響を受けた言っている」と否定)。
    • 駄洒落が好きで、年賀状には必ずSFに関連した駄洒落がついていた。あれを誰かコンプリートして欲しい。
    • ファンジンにも気軽に書いてくれた。
    • 早川文庫から「浅倉久志訳セレクション」が刊行される予定。
  • 高橋氏
    • 浅倉さんとは一時、毎日のように電話していた。自分ではあまり言わないのだが、他人の悪口を聞くのが好きだった。誤植が多かった話とか。
    • 丸谷才一訳の「ボートの三人男」がいかに酷いかを語っていた。宇井無愁も「あんな人は認めない」と言っていた。
    • 基本は50年代のアイディアSFだが。60年代後半のSFの変革を同時代的に体験したのが大きかった。それがメリルの翻訳につながっている。オールディス&ハリスンの過激な評論を読んでいた。
    • 神保町でS・J・ペレルマンの伝記や、森岩雄が買ったスティーブン・リーコックの短編集を見つけたりすると、買って、浅倉さんに送った。
    • 浅倉さんは詳細な「翻訳ノート」をつけていた。題名、枚数、担当編集者名まできちんと整理して。高橋氏が「伊藤典夫翻訳リストを作っている」という話を浅倉氏にしたら、すぐにそのフォーマットで「浅倉翻訳リスト」が送られてきた。
    • 早川書房のSFコンテストの二次選考を、浅倉、深見弾、高橋といったメンバーでやっていたことがあった。日本SFにも目配りしていた。
  • 発言者不明
    • 浅倉さんは実は、コードウェイナー・スミスはあまり得意(好き?)ではないと、言っていた。
    • 浅倉さんは「他にやることがないから翻訳している」と言っていた。ただし、浅倉さんには韜晦癖があったので、そのまま受け取っていいかどうか・・。
  • 国書刊行会樽本周馬
    • 浅倉さんのゲラへの赤入れを持ってこられていて、それが場内に回覧されていた。


15時半ごろに一度休憩が入って。後半は客席にいる関係者から。

  • 森下一仁
    • ヴォネガットのインタビューに浅倉さんたちと一緒に行った。「猫のゆりかご」に伊藤さん向けのサインをもらって、後で伊藤さんに渡した。
    • 訳の早い浅倉さんには縁のない「カンヅメ」を、一度、面白がって体験したことがあったが。「あんなものは、二度とやるものじゃない」と。
  • 大島豊
  • 牧眞司
    • 「海」のSF特集に浅倉訳の「アルファラルファ大通り」が載っていたので、早稲田の古本屋をローラー作戦して入手した思い出。
    • アメリカのスモール・プレスのラファティ研究本に、牧氏によるラファティ邦訳リスト&エッセイと、浅倉さんのエッセイとが一緒に掲載されている。そのエッセイは、「ラファティとは、CDの時代のLPのようなものだ」というような内容だった。
  • 浅倉さんの娘さん(先日の「偲ぶ会」にも出席されたとのこと)
    • 浅倉さんは普通のサラリーマンのように仕事をし、残業はほとんどしなかった。仕事が終わったらナイターを観たりしていた。
    • 家族に仕事のことはほとんど話さなかった。できあがった本を見せてくれるだけだった。
    • 家族として残念だったのは。「SFマガジン」50周年特集号に寄せるエッセイが、本人としても満足できるエッセイが書けなかったことだった。


<参考リンク>
私が現在もメンテしているトゥゲッターまとめ「追悼・浅倉久志」。
http://togetter.com/li/7220


ということで。まだまだ語ることはたくさんありそうだったが、定刻の17時が来たので会は終了。
実に面白かった。ゲストの方々、主催の方々、ありがとうございます。


新宿の二次会に行く人たちと別れて、妻と駅方面に戻り、東急ハンズで本棚など見る。
渋谷で、夕食を食べてから帰宅。