石川桂郎「残照」(角川書店 )

図書館本、読了。1976年刊行の随筆集。
著者は東京三田聖坂生まれで、高等小学校卒の学歴で親の床屋を継ぎ、後に俳人となり俳句雑誌編集者ともなった人。
戦中に焼け出されて、鶴川村(現・町田市)に移り、以降そこで暮らした。


この人のことは、サイト「直木賞のすべて」さんのブログでしった。
http://naokiaward.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/32-6c88.html#


奇人たちを描いた「俳人風狂列伝」で知られる石川だが、彼自身も「法螺吹き」的な人を食った性格だったようで・・。1957年〜1975年までの随筆を集めたこの本でも、面白いエピソードが多々。

  • 第1章
    • 鶴川村」での記録。自宅のそばに小屋を作りそこで著作に励む石川。結核の入院、手術体験もある。
    • 「初午の獅子舞」に来て、「3日前に刑務所を出たばかりなんだ」とすごむチンピラを、逆に「へー、どこの刑務所だい。実は千葉に知り合いがいてね」と脅かす話。
    • 石川にそっくりな身元不明者が毒を飲んで死んだらしく、石川の幼い息子たちが巡査により首実験にいかされるお話。
  • 第2章
    • 床屋をしながらインテリ青年たちと交際していた頃のエピソードなど
    • 戦後、「当たり屋」が流行ったころに「玉子屋」という商売があったそうな。ズボンのポケットに玉子を二三個入れておいて、相手にぶつかってズボンの弁償代をたかる商売。
    • 終戦後に仲良かった不良少女と十数年ぶりに再会したら、「あたしのことを小説にしたでしょ」と攻められ、それは石川淳の「かよい小町」だった。
    • かつての女の化粧には鉛が入っていたから、女の顔を剃ると剃刀がすぐ駄目になった。
  • 第3章
    • なぜか若い女性(女流俳人か?)と一緒に能登旅行した記録。酒飲みの石川は、下戸と一緒の旅行でまったく楽しくなかったようで、この章は精彩を欠く。
  • 第4章
    • 戦後の思い出
    • 新宿西口酒亭「ぼるが」の思い出(参照→http://hukosanbo.exblog.jp/2894405/)。
    • 昭和20年、空襲で焼きだされた石川は、師事している横光利一の家に仮寓する。だが、横光の作品「微笑」のモデルになった、「特殊放射線を発明した」というインチキ師を紹介したり。「タバコの代わり」に横光が吸っていた「虎杖」という植物の乾燥したものを盗もうとして怒られたり。そして、石川の子供がなぜか横光にツバをかけて、またまた怒られている。
    • 大阪で釜ヶ崎簡易宿泊所に止まったところ。料理屋でたまたま隣あわせた老人に気に入られ、一緒に釣堀に行くと、老人は鮒を何十匹も釣りあげる。翌日、もらった名刺をもとに「保城野運送店社長」宅を訪れると豪邸で・・。飼われていた九官鳥が、シトロエンが盗まれた際の警察からの電話に対する女中の応答を繰り返した。
      • このエピソードなど、あまりにも「できすぎて」いて、法螺のような気がする。このエッセイ集(?)の中にも、「あなたの話は嘘が多いらしいですから」とヒトから言われる記述があるし・・。
    • 最後の文章はガンで入院した1974年のクリスマス・イブの話。なお、石川は75年11月に死去している。