SFとの出会い 福島正実

 寝ても覚めてもSF漬けでこの十年あまりを生きてきたぽくにとっては、「SFと私」などと殊更らしく構えるのが、どうしようもなく空々しく、無意味に思えて当り前だろうが、にもかかわらすこの問は、しぱしばぼくの内奥の声となり、「お前にとってSFとは何か」と、モノトーンな調子で詰め寄ってくる。人によって反応のしかたはそれぞれちがうだろうが、そんなときぼくの場合は、どうしても少年時代への記憶へと遡る。
 ぼくの年配のSFアディクトたちは、ほぼ例外なく少年時代に、海野十三山中峯太郎の洗礼を受けていて、談たまたまそこに及べば、われながら呆れ返るほど、その当時読み耽った少年小説を、デテールまで憶えていることに気づき、苦笑いするのが常なのだか、それと同時にぽくの場合は、当時かならずしも数多くなかった天文学や考古学など、自然科学の少年むき解説書の類いを、数多く読み散らしたのを思いだす。そして、どちらかといえば、より強い衝撃を受けたのは、小説類であるよりは、そうした解説書のほうだった。「天の河」として親しんできた銀河が、実は巨大な恒星を千億個も集めた星の大集団を−−われわれもその微少な一部として属している銀河系宇宙を、横からながめた姿であることをはじめて知ったときの、一種の広所恐怖症的なショックさえともなった驚きは、どんな波乱万丈の宇宙小説を読んだときのそれよりも強列だったし、見渡す限りの夜空を埋める星々が、それぞれ一個の世界であり得、われわれと同じ生物進化の歴史を持ち得、想像を絶する多種多様な文明を持ち得るのだと知ったときの、激しい感動は、どんなファンタスティックな空想小説を読んだとぎのそれよりも生々しく、力強かった。そしてやがて、そうした世界のたたずまいは、自然もっと哲学的な、根本的な疑問をみちぴきだし、少年はいつか、宇宙に涯があるのかないのか、涯があればその先は何なのか、涯がなければなぜないのかといった、いたちごっこの問いに追いまくられるようになる。相対性原理も量子諭も、直接視覚型の答えを与えてはくれないから、何の役にもたちようがなく、たちまち思考容量がいっぱいになって、子供心にただ空しく、果敢なく、深刻になり、はじめて世界全体を、宇宙そっくりを疑うという哲学的体験も持った。
 そうして考えてみると、ぼくのSF開眼は、子供にのべたらありがちな、ただのポンチ絵的空想癖ではなく、現実の奥、現象の内部にあってこっちを黙って見つめている何者かへの関心だったということができるようで、それをしもなお幼稚なロマンチシズムというならば、ぼくのロマンチシズムは、最初から科学的思考と結びついてでなければ育たなかったことになる。ぼくの少年時代のロマンチシズムは、ごく単純な科学的事実の一つのなかにも、精妙な自然のメカニズムが働いており、それがなまなかな人間のドラマ以上にドラマチックであることを知った時に生まれたもののようである。(だからぽくは、この頃よくいわれる、「近頃の子供は科学的事実を与えられたがために夢がなくなった」という類いの意見の、白痴的物知らずに、いつも腹を立てないわけにはいかないのだ)そして、そうしたSFとの出会いをしたぽくにとっては、SFはたんに珍奇な空想物語ではなく、一つの知識−−現実や経験を克えた彼方にあるものに近づくための認識であり、そのためSFあるいは科学は、子供ながらのエリート意識の中核的な存在となったように思われる。宇宙について、科学について<何も知らない>友人たちを見るにつけ、そうした連中に多少の知識をひけらかすにつけ、ぼくの「他人とは違うのだ」というエリート意識はいっそう昂ぶり、ついには、常識とされるすべての現実についで、一応じぶんなりの考えを持たないことには身動きがとれず、そのため何かあるごとに、一応「ちがう」といってみなければおさまらない狷介な性格が育まれてきたようだ。
 そしてこれは、どうやら、二十歳を過ぎてのちSFに再会したとき、たちまちSFの魔力に巻きこまれた原因の一つになっているようである。つまりぽくは、ロマンチストであったからでも、やたら空想癖かあったからでも、科学そのものが好きだったからでもなく−−いや、かりに多少はそうであったとしても、それらをひっくるめた全部よりもはるかに大きい分量、他人とは何かちがったもの、常識ではけっして判断できないもの、しかも、それがより真実に近いもの−−そうした何かを求める気持から、SFに没入していったのではないかと思っているのだ。
 そしてぼくは、今、それを間違いであったとは思わないし、その事実に気がついたことを、幸運だったと思っている。なぜなら、ここまで踏み込んでしまったSFから、ぽくはもう死ぬまで脱げ出られないであろうし、死への道づれとするのならぱ、SFとの仲を、より個人的に、より内面的にする必要があると、思いはじめているからである。